「やっと来ましたで。ピアソラさん」。とそんな言葉をかけたくなるような、念願のアストロ・ピアソラのお墓詣りだ。
ブエノスアイレス市内に眠るエビータの墓地で知られる高級なレコレータや、
タンゴ業界?の著名アーチストが数多く眠るチャカリータという大きな墓地ではなく、
市内から車で1時間近いところにある、今や住宅地にもなりつつあるピラールという地区にある、庭園墓地だ。
お墓がこんな庭園スタイルになっているのは観たことがない。ここのお墓の名前は「平和の庭」。
写真のように美しい花々が咲き、きれいに手入れされている。墓地は写真のように、
十字架をかたどった立派な墓石などは建立されておらず、
地面に名前と生年月日と亡くなった日を刻んだスクエア状の石碑が見えているのみ。
どうやら、この墓石の下にピアソラは眠っているようだ。
敷地内にこのプレートがずっと続いており、よく探さないと誰のお墓かは、わからない。
隣の人のお墓とほど近く、仕切りもなく、この上なくシンプルである。
みな同じ形のお墓であるため、探すのが大変で、
墓地内で働く案内人の方がカートに載せて、その場所まで案内してくれる。という不思議な体験。
なんともゴルフ場のような往来であるが、気持ちは厳かである。
晴天の夏の日。大好きな紫の花、ジャカランタも美しく咲き、生涯忘れないピアソラのお墓詣りとなった。
「ピアソラさん、それにしても、すごい曲をいっぱい遺されましたね。
tangoの革命ともいわれる、作風。
タンゴとジャズとクラシックが交じり合った、まさにブエノスアイレスという町そのものを表現したような・・。
静かに手を合わせ、リベルタンゴのお礼に、赤いバラを捧げた。
そして、その夜、町中のタンゲーラで彼の作品に合わせて舞うダンサーと、見事な演奏を繰り広げるプレイヤーに熱狂する
多くの観客を見ながら、心から泣いた。
命が絶えても、作品が残る。
「それを目指すのが、アーチストの人生でしょう。」
ピアソラがバンドネオンの音になってささやいたような・・。
きついミッションが、身に降りかかった・・。そんな52歳の締めとなった。