ブエノスアイレス。成田からヒューストン乗り継ぎで、降り立ったときはすでに出発から1日半が経過。時差があるため、日付は1日しか進んでいないことになり、人生お得な時間間隔ではあるが、時差だけでなく、季節差もあり、夏のブエノスに迎えられ、すべてが逆という現実を、コートを脱ぎ棄て受け止める。
今回、空港から市内までお世話になったドライバー。英語が話せるので、コミュニケーションが楽だ。
MARTINさん。9年前にパソコン販売会社を売却し、この道に転向したという方だ。
お年は64歳とおっしゃっていたと記憶する。
タクシードライバーは。実に人生さまざまで、一人一人かなり濃厚なドラマをお持ちで、話しているだけで楽しい。
私がタンゴの音楽を研究しているというと、その人はバックミラーから私を見て_
「おお、実は、私の父はタンゴの作曲家だったのですよ」
といわれ、こっちがびっくり。
よく聞いてみると、私ももっているタンゴ歌手SOSAのヒット曲を作った人でもあり、前回、ブエノスへ来た際に
お墓参りをした、憧れの女流歌手ビルへニア ルーケと親しかった・・と聴いて、これまた不思議な縁を感じる。
会う人合う人が、タンゴでつながるのが、ブエノスアイレス流なのかもしれない。
それから、MARTINと1時間余り、タンゴの世界観、人生観について話した。
「明日、ピアソラのお墓に行く予定です」というと、彼は興味深く反応した。
ブエノスアイレスの熟年の男女は、タンゴを踊る。踊る人が多い、ひとつの社交であり、趣味であり・・。
アルゼンチンの国民の趣味。サッカーが若者に流行る前は、タンゴが主流だったのかもしれない。
でも、今、タンゴを踊る若者は減っている・・。
「私の父は作曲家のMIROでした。」ああ、うれしい出会いがまたひとつ。
早速、楽譜店やCD屋に行き、彼のお父上の作品探しに走る。
タクシードライバーの父さんが、作曲家。
とても、アルゼンチンらしい。と、感じた。