脚本家のつもりで描き、役者のつもりで生きてみる

作家の勉強を少々しはじめているが、そうか、ドラマとは、映画とは、演劇とは・・。
小説も含め、言葉で作品を創るという行為は、いろんな要素で成り立っているのだ
ということを改めて知る。

例えば、ドラマや映画などの脚本。
これは、シーンの連なりだ。
どんな場面で、誰が何をする。
この連なりでひとつのドラマが成立する。

そして、そのシーンの中で、
ト書きと言われる、その場面を描写する客観的な叙述。それに
基づき、いろんな場面づくりが準備されていく。

そして、言葉。
この言葉も、実際に演者が言葉に出すセリフと
モノローグ。
そして客観的に作品を進めていくナレーション。

これらの要素を知りながら、作品を観ていくとひとつの
ドラマや映画もより興味深くなる。

ふと、わが人生のことをあてはめてみる。
私の人生は、どんなシーンの連なりなのだろう。
そして、結局、どうなりたい、どうなるドラマなんだろう。
人生は、先や終わりがわからないため、この脚本は
演じ切ることができないかも・・。
でも、脚本を意識し、描き、できる限りそれに沿って
演じ生きることは可能なようだ。

と思うと、悲しんだり、落ち込んだりするときも
それを客観的に見ている作家としての自分がいて
「・・・そこで、開き直る」
なんて軌道修正することもできる・・と思うと
人生を作家的に考え、そして女優的に生きるのも
悪くないと思えてきた。
クライマックスのわからないドラマになることは
間違いないが・・・。

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