「想人」との約束。

お世話になってきたある女性。こんなに強く生きる女性がいるのかと思ったわが人生のお手本のような方。
現役を退いたあと、乳がんを患い、もう数年以上が経過。とにかく母のために生きなければとあらゆる治療を試みて、がんばって生き伸びてこられた。一時は回復したかと思ったが、再発して、また治療・・。抗がん剤も放射線も・・すべて受け入れ、癌とたたかいながら、お母さまと一緒に住まい、介護を続けてこられた。
ご機嫌伺いのメールをしても返信がない・・そんなことも次第に増え、心配するだけの日々・・。
そしてこの夏、お母さまが100歳の誕生日を過ぎ、亡くなった・・。
お寂しい日々を過ごされているだろうと、心配しながらも花を送るぐらいしかできず・・。
それからしばらくの時間を経て、やっと再会できることになり、重い荷物をずるずる引っ張って
その方が住む町に向かった。そう、その人のことを数年前に想い、作った作品「想人」の歌詞に
出てくる駅にて電車を降りる。
この駅にはその方に会うために時々訪れたが、今回、エレベータがないことに気付く。
ためいきをつきながら、えいっ!と階段を重いキャリーバッグを持ち、踏ん張って昇降し、
そして改札で待つその人に会った。

顔を見るのは1年半ぶりぐらいかも。
ああ、会えてよかった。久しぶりに乾杯をし、夕食をともにし、政治から人生にいたるまで、
いろんな会話をする。
そう、わが母の胃がんの手術の日も、この町で仕事であったため、一緒に手術成功を祝い
乾杯した・・・。そんな風に、いつも私のことも心配してくれる人だ。

治療続き、薬漬けで食欲もままならなかったが、この10日ぐらいは食がすすむとのこと。
野菜もお肉もごはんも、一緒に召し上がる様子を見て、安堵する。
よかった、よかった。
でも、体が痛くて、もう遠くへはいけない。
その最寄り駅の階段が登れないという・・・。

そうか・・。
「じゃ、この町でコンサートやりますから。
だから、絶対元気でいてください。」
私はそう彼女に言った。
「そうね、雪どけの頃に・・・。待ってます」
「来れないなら、こっちが来たらいいですから」

そして、ふた周りも小さくなった彼女の肩をハグして、
「また、必ず会いますからね」
と、何度もささやき、別れた。

よし、この町で春にコンサートをやろう。
だから、絶対に生きていてほしい。
好きな人たちに、ずっと生きてもらえるならば、
何でもしたい。しなくちゃ。

大事な人のために、自分ができること。
悔いのないように、ひとつひとつ・・。
雪降る前に、雪解けの日の約束をする。

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