誰かが自分のことをずっと覚えていてくれることは、この上なき幸せだ。たとえば誕生日のケーキに年齢分のキャンドルを立て、お祝いしてもらうという習慣は大人になるにつれ、なくなるかもしれないが、自分の記念日、年齢や活動年数を自分以外の誰かが記憶してくれていることは最上のギフトだと思う。ライブのとき、バラの花が届く。またもってきてくださる。花束とはかわいいラッピングのブーケになっているとか、それが大きいとか、種類豊富というだけでなく、その1本1本に意味を込められているという場合にも感激する。
今回いただいたバラの花。17本のバラ。独立16周年を過ぎ、17年目を走り始めているからという意味のようだ。自分のことをずっと見守っていてくださるから、ここまで気がつき、また気が利くということなのだろう。粋というか洒落ているというか、さすがの感性。最初はやけに大きなバラの花束だな~とその大きさとダイナミックさに感動していたのであるが、持ち帰り、じっと見ていたらその意味がわかってきてこみあげるものが・・。
送り主は会社員時代の上司と、その時代からお世話になり今もずっと応援してくださっている方。いつも花束をもらってばかりだ。このセブンティーンのバラの花束に、17年前の自分を思い出し、1本1本にその後の自分の1年1年を重ねていく。いつも見守られ、支えられ・・。じっと記憶され、ずっと愛されることほど幸せなことはない。17本のバラは、百万本のバラよりも私には価値がある
セブンティーンの花束
カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク