一昨日前の岐阜でのふるさとライブ。ソロしかも昼・夜、しかもそれぞれ二部制。
といったハードプログラム。リハーサルも含めたら12時間を要する。
これまでもやってきているので、それ自体は問題がなく、パワーの消費配分もわかりつつあるが、
今年は腱鞘炎がなかなか治らないせいで、不安と憂鬱、集中力に欠ける準備期間となった。
しかし、不思議なもので本番が迫ってくると、自分で自分を追い込むようになる。
そして、本番当日。
昼の部、最初は右手に不安があると思い、加減していたのでその意識が演奏を邪魔した。
しかし、本番に入ってしまうと、手どころではない、いろんなことに気を配らねばならない
状況のなかで、気が付けば右手はいつもどおり、動いていた。
激痛が走ったはずの、オクターブの激しい演奏も、何ら問題なく弾けてしまい、
まったくいつもどおり、いやそれ以上に調子がいい感じで、ノリノリになっていた。
夜の部は、さらに調子を上げ、恒例のアルゼンチンタンゴのメドレーもいい感じだ。
弾いているときは、痛みがあるとかないとかも感じない。
ただ、弾けていることに驚きを感じつつ、最後まで走り続けた。
おかげさまで、無事終了できた。
スポーツ選手の怪我と試合のことを思いだし、プロ根性とは何かということも
頭をよぎる。
しかし、不思議だ。自分が痛いということも忘れると痛みがなくなる?
集中力が痛みを逃がす?
もしくは、ザビエルさんか、空の応援団が私の本番の力を与えてくれたのかも
しれない。
まる1日、かなり酷使をした右手であるが、このまま痛みがフェイドアウトして
くれたらいい。
しかし、不思議なことがおきるものだ。
「本番」とは、力を振り絞ることができる、究極の非日常時間だということを
改めて知った。