そして、レガシー。

前の投稿につづき、最近やたら目にするカタカナでもうひとつ。
レガシー。

遺産という意味だそうだ。

遺産といえばいいのに。(前に書いたファーストもそうであるが)

たとえばオリンピックでは、開催時だけでなく、後世にその遺産を
残さねばならないのだそうだ。
だから立派な会場づくり、大がかりな箱ものづくりに余念がない日々も
続いた。
そして、最近は、ハードだけでなく、ソフト面での遺産も残さねばならないのだ。
ということで、さまざまな議論され、文化も含めて、その方向に進められようと
している。

そこで、昨年秋、まさに世界文化遺産として登録しようと
地元の人たちが奮闘されていた長崎のことを思い出す。

たとえば、隠れクリスチャンがまさか、遺産のことを考えて生きていた
わけではない。
時代を経て、結果的にそういった動きになってきただけのこと。
その苦労を、思いを、人類の消えてはならない教訓をきちんと
後世に残そうという試み、姿勢は大切であるが、
「認定されるために」であれば、本末転倒という感じもしなくはない。

いずれにせよ、遺産を残すためのイベントというのは何か違和感がある。
遺産は、いいものであれば、続いていくのである。
そして、それは後になってわかるのだ。

なのに、今日はみんな、営利主義や利権のための大義名分として
使っているような・・。

いいものは、いいことは、自然と受け継がれていくのだ。

と、この言葉を聴くたびに、平戸の静かな村を思い出す。

カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク