人生の最期にお詫びかお礼か。

大好きで尊敬する画家のひとり、藤田嗣治の生誕130周年ということで、各地で展覧会が開催されている。そのひとつが府中市で始まったと知り、初訪問も兼ね市立美術館に足を運ぶ。これまで断片的に見てきた藤田の作品が、生まれてからランスで亡くなるまでの人生を時系列にまとめ、その時代時代の作品を展示してあり、
大変わかりやすく、展示自体にも、もちろん藤田の人生そのものにも深く感動した。

その中でも、一番感動したのは、やはり戦後、かつて活躍したフランスへ逃げかえるかのように移り住み、そこで永住をしてからの作品。
戦争画でも有名な藤田は、戦争プロパガンダとしての作品づくりをしながら、私的には心の平安を描く作品づくりを求めた。この矛盾した時期は相当に苦しかったと
推察する。戦後、藤田は「絵描きは絵だけをかいてください」というメッセージを残したという。アーチストは政治や思想に巻き込まれるなということであろう。

そして、晩年、藤田は80年の人生の懺悔、お詫びのために、洗礼を受け、その後は神のために生きたのだという。
戦争で傷つき、死にゆく人を眼前にしながらも、手助けすることなく、筆をとっていたのかもしれない。そのことがあとになって後悔の念として現れたのかも・・。あの激しく緻密な戦争画をみるとそう思えてならない。

この展示会を見た前夜、
偶然にも、最近亡くなった写真家の晩年のドキュメンタリーを見た。
その方は原爆の被爆者の傷跡や暮らしを執拗に撮り続けた。
それは反戦のメッセージを伝えるための撮影であったが、被写体となる人々に苦痛を与え続けていた。
写真家はそのこともわかって撮影していた。

そして、彼は亡くなる前にベッドの上で
「人を苦しめたから、自分も苦しんで死ななきゃあかん」
と言った。その言葉が印象的であった。

天命、天職。いろんな仕事がある。
ときには人を苦しめながら、意と反することをしなければ
ならない局面もある。
そのことを自分の内面にずっと貯めながら、人は生きていくのかも
しれない。

そして、最後に
お詫びとして、反省として、何か純粋な選択をしたり、
痛みに耐えて、死にゆくのかもしれない。

さて、振り返ればお詫びしたいこと、しなければならないことがある。
生きていき続ければ、もっとそんなことが増えていくのかも
しれないが、できる限りそうならなくて良い道を
選び、生きていきたい。

お詫びよりは、感謝しながら人生を終えられるように。
難しいことのようにも思える。

この二人のアーチストの仕事ざまを見て、改めて
生み出すことは苦悩なのだと・・。
凡人には及ばない道だ。

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