茶碗を鳴らす紳士に涙と、余韻。

碗琴演奏を初めてみた、聞いた。
有田焼400年の記念イベントのひとつとしての、演奏であったが、
すでにこの碗琴は、内外で550回以上、演奏されていると聞き、驚く。

会場には、大きなテーブルにいろんな柄、大きさの有田焼が並んでいる。
昔は14個、今は31個の茶碗をつかうそうだ。
日本の唱歌などの音階は前者で間に合ったが、有田焼の友好都市ドイツの
マイセンなどで演奏する際、西洋音楽を演奏する際に、それでは足りぬと
31個まで増やした。
そう、茶碗は無秩序に並べてあるのではなく、これは高音のド、これは
低音のレのシャープといった具合に、音階順に並べてあり、演奏者は
マリンバや木琴のようにその茶碗を並べた鍵盤を、有田焼を布で覆ったスティックで順番にはじいていくのである。
ピアノやマリンバなどは、鍵盤が外れたりすることはないが、椀琴は
相手が机上の茶碗ということで、力の入れ方や方向によって、茶碗が
飛んでいったり割れてしまう可能性もあり、かなり緊張する。
そしてやさしくも、しっかりはじかないと、いい音色が出ないだろうから
その勘も重要である。
とにかくその演奏者の手さばきを見ながら、そこから出る音色をひとつひとつ
楽しむ。
意外と高く、品のいい音が出るのだ。

始めに茶碗を並べて演奏しようと思った人は凄いな~。またそれを受け継ぎ
十数年も修行されてきた今回の演奏家の方も素晴らしい。
先日も書いたが、器の可能性をここで再確認し、改めてその感性に感動。

スーツを着ながら、一人オーケストラのように、茶碗が割れないようにと
細心の注意を払いながら、唱歌からエリーゼのために・・まで幅広く演奏されて
いたその様子に涙があふれた。
ライブの緊張感と、茶碗の緊張感。
たまらないドキドキの30分。
この夏訪ねた有田の町がよみがえった。
焼き物ひとつから、いろんな文化の広がり、交流。
美濃焼なら、あんな音になるのかな?

有田焼を初めて焼いた人が、音まで考えたかどうかはわからないが、
芸を受け継ぎ、用途を自由に広げる。
すべて五感のなせるわざ。
400年前の九州の異国文化の交流を懐かしみ、
やっぱりザビエルのことも重なってくる。

そして翌日も、この碗琴演奏のことを思い出しながら、茶碗を
洗っていたら、手が滑って、ふたつに割れた。(買ったばかり・・)
演奏者が「有田焼は粉々にならないんですよ。ふたつかみっつにきれいに割れる」
と演奏の合間に言われていたが、こんなところで実証するとは・・。

それぐらい余韻の残る名演奏だったのだ。

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