夫婦喧嘩礼賛

わが両親はたぶん、ボケていない。と毎月、確信する。
それは、彼らの夫婦喧嘩の生中継?を見てそう思うのである。
それはそれは、本当にテレビの世界の二次元と違い、
目の前で繰り広げられると、声の大きさ、相手を罵倒する言葉、
意味不明のやりとり・・。こちらの血圧まで上がってきそうな
緊迫感が伝わる。お互い言い合っているだけで、聞く耳は
どちらももっていない。
聞くに堪えず、仲裁役はかなり難しく、いつの間にか
こちらが爆発してしまう。その爆発にびっくりして、しばし
その喧嘩がうやむやになり、中断ということもあるが。

いずれにしても、あの双方に向けての怒りはボケ防止に
役立っているはずだ。
そして、改めて「喧嘩」という文字に注目すると、
口に宣伝、口に華。
自分をしっかりPRしながら、そしてその意味のない
言葉の応酬は自分中心かもしれないが、言葉が咲き乱れる?華なのだ。
(決して客観的には、美しい花ではないが)

と思うと、ま、喧嘩できなくなったらそれはそれで心配かも
しれない。
喧嘩できるのは、仲のいい証拠かもしれず、
元気の証拠であることは間違いない。
いつか、そんな日々を思い出すこともあると思うと、
今は、
好きにさせておくがいい。

ある人が、
うちの親は喧嘩する元気もない。それに比べたらいいですね。
と言ってくれた。

そう、喧嘩できる相手、喧嘩できる時間。
それがあるということ。
幸せと健康長寿のバロメーターであることは
間違いない。

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