どんな器の人間になるか?

最近、椀琴という言葉を知った。
何でも茶碗を並べて演奏する。茶碗の琴、珍しい楽器のことだ。
有田焼でそれをやっている人がいるというので、大変興味深く、
近日拝聴してみようと思っている。
人間は、もともと生活用具を楽器として、感情を表現したり、それを奏でることで、偶然生まれる音色に感動を覚えたり・・と、音楽を生活のなかで楽しんできたようだ。

器をたたく。器をはじく。どんな音がするんだろう。

器というのは、見て楽しむ、入れて役立つ、そして時に聞いて癒されるもの。
いろんな役割があり、その時代でいろんな表現があり、興味はつきない。

そこで、その器。

人も器でたとえられる。
その人が器に合った人かという評価もよくされる。

今、著名であっても、メディアに露出していても
その器でない人が、器があるかのように、演じられている
こともあるため、
そのことをちゃんと見極めることが大切だ。
穴が開いていないか、混ざりものではないか。
偽物なのに、情報操作で本物っぽく見せようと
されてはいないか・・など。

そう、器を見る目を養わねば。

一方、ひとりひとりが器でもあるから、
器としての自分をいつも磨き続けなければ
ならない。

大きい器でなくていい。
大量生産ではない器がいい。
できれば、触れたら、はじいたら、いい音が響く
そんな器になれたらいいな。

その椀琴、コミュニケーションクリエイターとしては
興味津々。

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