長寿を考える

敬老の日だったからとは関係なく、、最近、気になっていた「長寿の壺」。
何のことかというと、この夏、有田でみつけた高級骨壺の商品名だ。
はじめて訪ねた有田焼の町には、有名な窯元もふくめ、数々の店が
軒を連ねる。ああ、全国の売り場で見かける有田焼はここで生まれているのか
という感動が沸く。
有田焼は、食器だけではなくランプの傘だったり、インテリア、エクステリアにも
広く応用されており、樹脂やガラスではなく。この有田焼で生活する!という
のもなかなかしゃれたものだと感心・・。

ある店に入ったら、長寿の壺の商品見本とパンフレットをみつける。
何十万円もする、骨壺を生前に用意しておきましょう。というサービスだ。
生前葬とかやっている人もおられるが、この骨壺を事前に好きな有田焼の、しかも
オーダーメイトの壺・・を用意しておきたいというニーズはおそらくあるのだろう。
「なぜ、長寿の壺なんだろうね?」相方と会話する。
「亡くなってもこの壺の中で生きたいという意味かな」
「こういう準備をしておく人に限って、長生きできますよ。ということかも」
実感のないままの会話だ。
いずれにしても、高齢化社会、いろんなニッチビジネスがあるものだ。

壺・・。台湾人のアーチストであったANNEがデザインしたキレイな壺を
保管してある。彼女は2年前にもう亡くなったが、生前前、その壺ができたと
見せてくれた時、「きれいな壺やね。私、死んだらここにお骨入れようかな」
といったら、彼女は笑って「そんなことまで考えてくれて、ありがとう」
と言っていたことを思い出した。

死んだらわからない。生きている間の約束でもあり、もしかしたら、たわごとかも
しれないが、いずれも今生きている・・・ことを一番大切に。
それしか、ない。あるのはそれだけだ。

敬老の日・・・。老人がどんどん増えて、それでも長生きを求めて・・・地球は
どうなるのかな。と思いながら、それでも両親の健康長寿は願っている、という
自己矛盾に満ちた・・1日であった。

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