「先生」を勘違いしないように。

人様に何かを教えたり、伝えたり・・。教える、教わる。という関係は自ずと「先生」と「生徒」ということになるが、その先生という領域や期限はどこまでを指すか・・は微妙に難しい。
子供のときの習い事の先生が、何十年経っても自分のことを生徒と思ってもらえることはうれしくもあり、でも今の自分は昔の自分とはもう違うけど?という気持ちもあり、ちょっと複雑であり、その関係から距離を置きたいと思うこともあるのかもしれない。

自分が人さまに物事を教えるといった仕事をする機会も増え、「先生と呼ばれても、勘違いするな」
と思うようになった。
そのときは、たまたま教えてもらう内容があり、そういった関係の時間であるから、先生というだけのことであり、一歩外へ出れば単なる人なのである。

また教えた人が、ずっと自分を先生と思っているかといえば、そうとも限らない。
あくまでも、習った方が尊敬と感謝の気持をずっと持つかどうか。これは習った本人の問題だ。
また、立場変われば、先生は生徒になることもある。また先生と言われる人も、実は常に生徒から多くのことを学ばせていただいている。
だから、「先生」という言葉にとらわれ、勘違いしてはならない。
たまたまそのとき、それを習っただけのこと。
ただ、心から感謝していれば、尊敬していれば、関係は切れないし、行動も変わってくるはず。
教えていただいたことだけでなく、その先生自体を尊敬し、感謝を忘れず、そしてその生き様や
背中からも学びたいと思うだろう。

いつでもおごらず、謙虚に。生徒は、お客様であることを忘れずに。
政治家も医者も教師も・・・ずっと「先生」と呼ば続けていると勘違いするかも?
いつの間にか上から目線になるかも?
気を付けなくちゃ。先生と呼ばれ続けると、おバカになるかもしれないし・・。

いずれにせよ、何年経っても尊敬している、感謝をしたくなる人こそが、本当の師。真の恩師。
やっぱり結局はその人の教えたノウハウよりも、その人の背中や姿勢が一番記憶に刻まれるのだと思う。

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