知れば知るほど、生きればいきるほど、わかってくることもあるが、わからなくなることも多い。
と感じる今日この頃。
ほんの一例であるが、たとえば、作家になろうとすると編集者と直にコネクションができる、もてる
機会を作る以外には、昔であれば、「文学賞」に「応募」し、専門家が審査し、受賞したらプロになるという手法がいわゆる正攻法であった。
これは文学の世界だけでなく、音楽の世界や料理の世界もそうかもしれないが、もともとはその道のプロが認めるところからデビューという、わかりやすい方法。
ところが最近では、ネット社会になり、ネット上での「投稿」からファンが増え、その結果、プロの目にも止まり、出版化、リリースという流れも主流になりつつあるらしい。
年に一度といった限られたチャンスではなく、いつでもだれでもネット拡散により有名になり、売れっ子になることも可能な時代になったという。
これはいろんな道への間口が広くなったというか、「何に対しても、誰でも、いつでも」参加できることになり成功へのチャンスの可能性があるという点、さまざまな挑戦について敷居が低くなった良さもあるが、競争も激しくなるという一面、さらにはなんでもオープン故の怖さや脆さもある。
昔ながらの方法の権威もなくなりつつあるが、その権威はまだマスメディアが煽ることにより、少しは維持されているか?(いいか悪いかは別として)
売れる人になりたいのか、わかる人に伝わる人にだけ伝えていきたいのか・・。
売れれば成功なのか?数字を追いかければ成功なのか?いや、違うだろう・・。などなど
大洪水の情報化社会の中にいると、わからなくなってくることが多い。
いずれにせよ、自分の人生なんだから、
とにかくこの世の中、振り回されないようにしっかり自分の存在を保つことが大切だ。
真面目に考えれば考えるほど、生きていくことの難しさに行きついてしまう今日。
だから、あまり考えない方が、楽に自分のやりたいことに向き合えるのかもしれない。
いずれにせよ、
まずは、自分が何をどうしたいか。何があってもそこがブレナイように、生きるのみ。
きっと生きる限り、わからないことに直面するだろうが、それを恐れず、わが道を進むとしよう。
自分が行く道は自分で照らしながら、歩いていくとしよう。
ある意味、暗闇の現代社会。だから自分で自分を照らしながら、わが道を進んでいくしかない。