言葉には品格、五感(耳障り)も考慮。

オリンピックの開催期間中に感じたのは、テレビの企画表現力の低下だ。とくに海外のニュースをBSで確認できず、2週間もの間、必要な情報がとれない不便さを感じていた。が、これは4年に一度のイベントなので仕方ない。では・・・と、やむを得ず、民放のニュース番組を見るが、プロとはいいがたき女子アナたち、また評論家のような人たちの意味のないトーク。いずれにしても時間つぶしのような番組が増えているのが、もったいない・・と結局はテレビのスィッチを消す日が続く。

オリンピックもいよいよおしまい。閉会式前日、やっとNHKの夕方のニュースを見る。
すると、ある傷害事件の報道。その事件は、本当に被害者の方たちが気の毒で、どうして心ないことをする人間が世の中にいるのかと腹立たしくなるもの・・。
と同時に気になったのがアナウンサーの発する言葉の耳障りだ。
傷害事件で傷づけられたのは、若き女性たちで、彼女たちの臀部であったようであるが、アナウンサーたちは何度も何度もそれを「尻」と原稿を読み続けていた。
若い女性アナウンサー、男性アナウンサーがこの言葉を放送で読む感覚とは?「臀部」といえば
いいではないか?
このニュースは何度も何度も時間帯を変えて、翌朝も報道された。
そのたびに、その言葉が発せられるたびに違和感を感じた。
「この言葉、おかしいんじゃないですか?」「こう読んだ方がいいのでは?」
という局内提案もないのか?誰もおかしいと思わないのか?

そのあと、NHKに電話をし、ちゃんとした日本語、誰が聞いても品があると思う言葉をつかうのがNHKだと思うが?すぐ直された方がいいと思う・・・と電話口に出た人に伝えた。

家人からは「暇なの?」と嘲笑されるが、そうではなく、言葉には敏感になってしまう。
メディアが言葉を大切にしないでどうするんだ。と思っているから。
テレビの影響は、低下したといってもNHKである。

言葉は文字を読む以上に、耳に入るときのインパクトが大きいはずだ。

美しい言葉。適切な言葉。専門家として品格ある表現を・・。
報道を専業とする人たちには、もっともっとこだわってほしい点だ。

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