いつも「悔しい」がバネになる

映画の中で、バイオリニストが弾くパガニーニの変奏曲を聴き、悔し涙があふれた。18歳の頃、毎日何時間も練習を重ね、そのパガニーニの主題による変奏曲(リスト編)を高校の卒業演奏会に弾いた・・・あの時代を思い出したのだ。ピアノは1日休んだら、1週間練習しないと戻らない・・・そんなこともよく聴いた。ピアノはすべて練習である、練習したものが勝つ。まさにその世界であった。だから、一生懸命練習すれば難曲と言われる作品でも演奏できる。そのことを信じ、取り組んでいた時代。あの卒業演奏会をピークに、受験などの騒動から、音楽の世界を離れ、練習を続けていたと同じ時間、弾かない生活を過ごした。だから、復帰した今だってそう簡単にリストは弾けない。しかし、耳も指も確かにその曲を覚えている。だから、同じメロディーをバイオリンが奏でているのを聴くと、自分の内面が無視返ったような、感覚になった。
今も弾きたい、あれを弾きたい。弾けない自分はいやだ。さっそく戻って、昔の楽譜を探す。
パガニーニも難しいが、リストも難しい。なんとか18の自分のときのように、無我夢中で再度弾けるようにと
挑戦をする。悔しい気持ちはいくつになっても、行動のバネになる。

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