BGMは、暮らしをドラマにする。

普段の生活で、自宅で食事をとる際に、音楽を流すことはほとんどない。
たまにば、そんな日があってもいいのはわかっているが、料理ができたら
即「いただきます」。と慌ただしく食事が始まるのが、わが家流?
いつの間にか、いいか悪いか、テレビを見ながら・・という習慣になっている。
つくる、食べる、飲む、片づけるの一連の行為を「ながら」で過ごしている。
それでも平日はそんなこともできず、週末のお楽しみ時間である。

一方、外食に出かけるときは、普段しない会話をしたり、その料理を
ゆっくり楽しむことができ、外食をする意味はそれなりにある。
普段と違うコミュニケーションがとれるという点で有効だ。
そこでの食事を美味しくいただけるかどうかは、料理の味だけでなく、
店の雰囲気、盛り付け、食器、スタッフの対応にかかっている。
そして、さらには音楽の役割も大きい。

この週末、長崎の宿泊先のレストランに夜、朝と続けて通う。
スタッフは同じ。テーブルも同じ。
料理は違う。そしてそこで流れている音楽が夜と朝、変わっているのに
気づき、ついスプーンの手が止まる。

夜は弾むような、ライトなジャズ。お酒も会話もそれにあわせて盛り上がる
感じ・・。生演奏でない感じが、カジュアルなコミュニケーションの空気を
つくるのに良い。
そして朝は、ピアノのソロ。環境音楽のような静かな、風がそよぐような
そんなタッチのメロディが流れていく。
ああ、朝はクラシックやこういったピアノの優しい音色がいい。
思わず、知らない曲なのに、メロディを頭のなかでなぞり、ゆっくりゆっくり
スープをいただく。
ああ、この辺境の地に来た、もうすぐ出発だ。
旅を締めくくる朝の食事のBGMは、予想しなかった感動を与えてくれる。
たかがBGMであるが、サービス業では注意したい大切なエレメント。

おかげで、素敵なイメージを抱きながら、次の地へと出発する。
音楽は経験に余韻を、日々の時間にアクセントを与えてくれる。

主役でない、BGMとしてのピアノ。
私の心に風を送り、新たな火をつけた。

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