正直、オリンピックが戦後とくに政治とかかわっていることや、
経済の活性化にそれを利用しようと、スポーツに直接関係ない人たちが
騒いでいることに、違和感は感じ、東京オリンピックを巡るさまざまな動きは
心配でもあり・・
またメダルの数を競い、そのために手段も問わない国もある・・
という話も聞きたくない話だ。
勝つため、お国のため・・。なら、興味なし。
オリンピックとは、国家レベルの政治的ゲームか?とも思うと、
大変危険・・。
と思っていたなか、開催国の大統領不在のまま、開催された
リオのオリンピック。
こんなさまざまな疑惑、懸念は消えないが、それでもとにかく
一生懸命に競技に向かう選手らの姿を見ていると、
これこそがオリンピックなのだ。と感動し、安堵する。
もちろんメダルを獲るためにがんばっているのだが、
結果は後でついてくるもの。
運も含めた実力の発揮は、簡単ではない。
笑う選手もあれば、悔し泣きの選手もいる。
どちらにも感動する。拍手を送りたくなる。
とにかくやっている選手たちのがんばりざまを見ると、
私は極限までがんばっているか?と思い、
もっとがんばれるのでは?
と、意欲がわいてくるのだ。
世界中の人が、参加する、応援する・・すべての
活動を通じ、より前向きに、元気になれる・・。
そして国際交流により、世界平和に貢献できる。
これが、オリンピックの役割ではないか。
先日、上野で見た古代オリンピックの選手たちの
彫刻作品たち。その時代の選手たちは、
現代までオリンピックというものがこのように続くこと、
また
こんなに豪華で装飾的なスポーツの祭典になるとは想像もしなかった
であろう、あの古代の選手たちと、今闘っている
選手たちの一人ひとりの思いは変わっていないはずだ。
とにかく、がんばるアスリートを見ていると
泣けてしまう。
それは派手さと予算の規模とかとは、まったく違う
ところに感動しているのだ。
全ての選手のスポーツマンシップにのっとった奮闘に、
心から敬意を表したい。
がんばっている人は皆、ヒーロー、ヒロインだ!