ときには、ギャンブラー的に生きる。

ある紳士のお話。今は30歳ほどのお子様の幼少期に、ひたすらギャンブル力を身に付けるよう、英才教育を施されたとのこと。お父上は60歳を越えた立派な真面目な会社役員。麻雀や将棋がこよなくお好きで若いときから仕事の合間、仕事を終えた後夜通しでも、勝負されていた時代があったとのこと。
その経験からギャンブルは人生に役立つと自ら悟り、息子にもギャンブルの魅力を切々と伝えてきたが、麻雀好きなお父さんのことをどう見たのか、それが災いしたかどうかはわからないが。その息子さんはギャンブラーとしての才覚は発揮せず、それらに親しむこともなく成人されたとのこと。

なぜ、ギャンブル力を身に付けさせたかったか。
それはいざというときに、自分で決断、判断する力を身に付けるため。
確かに、人に決めてもらうという人生は良くない。
自分でその場その場で決断し、行動していく力こそ、自立の道であると。

そして、一度決断したら、振り返らない。
あのときこうしておけばよかったとか、後悔とか反省は、なしだ。
そのとき、そのとき集中して適切なベストな決断ができるように。
それは切羽詰まったときも、そんなときこそ大切だ。

なるほど。
私はいわゆる賭け事はしないけれども、その考え方はよく理解できる。
いろんな局面、それはギャンブルと同じ。これを選ぶか、あれを捨てるか。
そう、毎日緊張感が必要なのだ。生きる道には、賭けなければならない瞬間がある。

面白い話を聴いた。
その方自身、麻雀で磨かれた決断力が功を奏して、仕事に人生に磨きをかけておられる。
普段は温和だが、いざというときは、すごいんだろうなと勝手に想像する。

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