感謝ではなく、謝罪を

新宿にはコリアンタウンがある。韓流ブームのときは、大変にぎわっていたが、最近はその頃に比べると静かだ。
その代わり、欧米人の訪問客をちらほら見かけることもあり、もしや東京の穴場的存在かもしれない。時々、ここに出向き、本格的な韓国料理を楽しみ、店の人たちと話すだけでもちょっとした
旅行気分になる。

そこに韓国の歴史文化を展示する小さなミュージアムをみつける。
その存在は知ってはいたが、中には入ったことがなかった。
その入り口に今回の展示テーマを書いたパネルが掲示されている。
それは、「広島・長崎で被爆した韓国人」~といった内容であり、長崎と韓国?ということもあり興味をもち、中に入ってみた。

展示の中身は、戦中、強制労働のために広島や長崎に来ていた多くの韓国人の方たちが、
原爆で亡くなった・・その現実をデータや写真、残っている遺品などでまとめられたもの。
細かなデータは記憶しきれなかったが、数多くの韓国人労働者の方たちが原爆で広島や長崎で
亡くなっていたことを改めて知り、被害は日本人だけではなかったのだとショックを受ける。
そのことは、あまり大きく報じられてきていないとも感じた。

真剣に展示物を見ていると、そこに、当資料館のスタッフらしき方が現れ、その様子を解説してくれる。
彼女の説明で、「強制労働」ということを強調されていたことが印象に残った。
来たくて来たのではないのに、被爆し、多くの命が亡くなったのだ。という意味合いのこと。
その繰り返される言葉に、返すことばが難しい。
「本当に大変なことでしたね。こんなに被害に遭われたのですね。こういう現実を知らなかったので、ここへきて勉強になりました」
といったあと、
私は、思わず「私たちは、いろんな意味で韓国の人たちに感謝をしなければならないですよね」
と言いかけたが、途中でコトバを止めた。
心から隣国の兄弟ともいえる韓国のみなさんには、いろいろ助けてもらったり、お世話になってきたそれなのに悲しい歴史もいろいろあり・・・という気持ちからの言葉であったが、この場面でその言葉はふさわしくなかった。
スタッフの方には、感謝の言葉ではなく、謝罪の言葉が必要。
明らかに感謝という言葉への拒否反応が見られた。

戦争を体験していない世代同志でも、まず謝罪からなのだろうか?

感謝とはお互いのいいところを認めるところから始まるが、謝罪は非を認めることから始まるのだ。

立場違えば・・は一生変わらないが、この関係はこのような日常場面でも難しいことがあるのだと
痛感した。

現実を知ることの大切さ。関係を取り戻すことの大切さ。未来に向かう道づくりの大切さ。
いろんなことを思いながら、
資料館を出た。

いずれにせよ、取り上げられることが少ない、広島・長崎の韓国人被爆者。その現実の断片を知り、
どの人にとっても悲しい戦争の悲惨さを改めて考えさせられる。

戦争とは永遠に禍根を残す悪夢である。そのことを考える71回目の夏。
まもなく終戦記念日もやってくる。

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