なぜ、アルゼンチンタンゴがいいと思うのだろう。
音楽性・ダンスの美しさの融合から「情熱あふれる人生」を想像することができるからか?
ああ、自分もこのタンゴのように熱く、燃えるように生きたいという
自らの内面深くに潜んでいる願望に触れることができるからか?
あるいは本来の本当の、素直な自分に向き合うことができるからだろうか?
生のパッションが、五感すべてに働きかけてくるからだろうか?
その理由がいまだにうまく説明できないが、
いつもアルゼンチンタンゴを聴くたびに、
ダンサーたちの踊りを見るたびに、自分の人生に問いかける自分がいる。
そしてこんな美しいメロディを、私も創ることができるはず、と思う。
ダンサーたちは、バンドネオン奏者はタンゴに人生を賭けている。
そんな気がする。
貧しいアルゼンチンの子供たちは、サッカーを楽しみとした。
一部の少年少女は、思春期を過ぎ、家族らの影響からか、
アルゼンチンタンゴを覚えるようになる。
楽器を演奏するには楽器が必要なため、
或る程度のお金がないとままならなかったであろうが
ボールひとつでみんなが熱くなれるサッカーや、何もなくても踊れるタンゴは
経済的に豊かではない環境であったからこそ、発展したのかもしれない。
数十年タンゴダンサーとして生きてきた1組のダンサーのことを描いた映画が
上映されている。黄金期に日本公演も果たしたユニットだ。
現在、年齢は80歳を越えている。
長年タンゴとともに生きてきたことが、その人の人生を美しく輝かせている。
人に感動を与え、称賛され・・惜しみない拍手で自分の人生のクライマックスを
迎えることができたら、それ以上に幸せな人生はない。
そうだ、タンゴは生きる価値、幸せを教えてくれる
永遠のアートなのだ。上級貴族から生まれたのではなく、庶民からそして
コロニアルな背景から生まれた、チャンポン文化なのだ。
だから、好きなのだ。
さて、何を人生に賭けるのだ。
恥ずかしいが、まだまだ賭けるほどに至っていない。
80歳の老婆ダンサーの背中を見て、自分の進む道について考える。