命を越えてつながっている。

思いやられる夏が始まった。早速、寝苦しい夜、エアコンと扇風機を付けて眠った。
夢は毎日は見ないが、週末は見ることがある。今回は約半年前に、交通事故で亡くなった方が出てきた。なんだかにこにこ笑いながら、人生だ、マーケティングだとなんだかいいながら、私に迫ってくる感じだ。「あれ?もう亡くなったのに、なんでいるんですか?」のような言葉を私はその人に返しているが、彼女は積極的に私に接近して、人生だ、マーケティングだ・・と、彼女とは関係ないマーケティング組織の機関紙(もう今は読んでいないが、私にとってはマーケティングのルーツになった大切な資料)を差して、これだとかなんだとか言っている。
そして目が覚め、それから彼女の元気な笑顔とそのサジェスチョンの意味が気になって、眠れなくなってしまい、結局は睡眠不足で朝を迎える。

なんで、夢に出てきてあんなことを言っていたんだろう。あの夢は一体、何を意味するのだろう?
最近は、ついつい、なんでもネットで検索する癖があるが、どんな言葉でも検索すると、答えが必ず出てくることに驚く・・(内容の質は別として)。そして、今回も夢占いとか、心理学のページにリンクした。
その亡くなった方とは、私が思っていた人ということで、親しい人だ。
親しい故人が夢に出てくる場合、その人が夢で手招きをすると、よくないこともある?そうであるが、今回はそうではなかった。
彼女がきっと今の私を応援してくれての夢登場だったのだろう。

そういえば、先週、上越妙高のホームで風に吹かれていたとき、彼女のことを思い出し、そのあと彼女が仕事していた店にも顔を出した。週末は、その人の息子さんたちを思い出し、長男からお米を買おうか、次男が店長しているレストランに食事にいこうか・・などと考えていたことは事実だ。
だから、きっと空の彼女がそれに気づき、喜んできてくれたのだ。と、考えることにした。
しかし、人間の意識世界とは、不思議だ。これは命も科学も超越しているように思える。

近、また違う人が、私とは何代前や、前世でつながっていたかもしれない・・だから、今も縁があるんですよ。と話してくれたが、それも含め、夏にふさわしい話題とも受け止めることができるが、それにしても、人間界はとっても不思議だ。
とにかく、彼女が安らかに眠られていることだけを、ただただ祈る。
人って、命を越えて、関係性のなかで生きている存在なのだ。きっと。

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