演劇というリアルなバーチャルアート

あるご縁で知り合った作家が企画・脚本担当した作品を、都内の古民家で上演されるとの報せをきき、久しぶりに「演劇」という表現に興味が沸き、観劇した。
タイトルは「エピローグに栞を」という作品。

古民家の居間が、ステージそのもの。縁側も窓も、庭もすべて劇に出てくるステージとして使われている。
立派な劇場で大道具をその劇のために作る劇よりも、古民家をそのまま利用し、そこに住む家族の物語という点で、大変新鮮だ。
舞台も客席もなく、また演者と観客の距離は、まさに小さなライブハウスでの演奏に似た、密接な距離感。狭くて、暑くて、快適な空間とは言えないが、舞台である居間が目の前にあることで、隣の家の不思議な出来事を見ているような、なんともいえないプチ非日常感がある。

田舎にひとり住む父親が病気と知り、15年ぶりに帰ってくる娘と孫・・。死に向かう父親に遺言書を一緒に書こうと迫る娘・・・。とはじまるストーリーであるが、演劇とは映画以上に、テレビドラマ以上にリアルに観客に訴えかけるインパクトがある。

私は父親役の俳優が発する言葉、動作や娘と父の喧嘩の様子・・・などを見ながら、自分のことと共通している点が多く(さすがに遺言書のことは違うが)、知らず知らず故郷のことばかりが思い出されず、またいつお別れが来るかわからない親たちのことを思い、涙があふれっぱなしになった。

演劇をはじめ、演奏、マジック、トークショー・・。ライブな発信は、観客に生の感動を与える。
映画も素晴らしいが、そのダイナミックスさの対局にある演劇。
これは演者と観客がともに作る空間。緊張、息使いも含め、生きた感動を享受できる協創の時間。
本来、芸術とはそういうものであると、学生時代に読んだコリング・ウッドの著作を思い出す。

ライブ活動をしているからこそ、わかる苦労もあり、また共感もあるが、
演劇というのは、ある人生をリアルに、立体的に切り取るアート。
久しぶりに観て、心が震えた。

また、演劇とアコースティックギター1本の演奏のBGMという演出も大変効果的で
見聞きしながら、いろんな発想がわいてきた。

改めて、書いて伝える、それを人が演じて伝える。
脚本家は作詞作曲家と同じだ。
想像と創造の発信は素晴らしい!と再確認できる貴重な体験であった。

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