岐阜とザビエルの縁。

岐阜城とザビエル信長南蛮寺

不思議な縁を得た。そんな気持ちになるプチ発見。
岐阜という街の命名者は、織田信長である。来年で命名450年とのこと。
岐阜では行政中心にではあるが、にわかに盛り上がりつつある。
その岐阜の発展の功労者、信長のことを学ぶため、久しぶりに岐阜城を
訪ねてみる。
そして天守閣内の展示でみつけた資料より。
ひとつは、フランシスコ・ザビエルの肖像とサイン。これは岐阜城の年表に
あったもの。なんと、この年表の書き出しは、ザビエルの生誕年からはじまり
それに、ルイス・フロイスと続くので、仰天した。
そう、信長が岐阜城に招き、おもてなしをしたというキリスト教宣教師、ルイス・
フロイスはザビエルの宣教の後任者、いわゆる後輩的な存在である。
フロイスと信長はかなり親密であったようで、キリスト教布教を認めた信長の保護の
下、「南蛮寺」なる教会も各地に建設された、
写真は、「京都南蛮寺の信長」という1枚の絵。
直接ザビエルと信長との接点があったという記録はまだ見ていないが、間違いなく
ザビエルの影響を多大に受けた信長。そのおかげで、他の戦国大名にはない発想も
芽生え、楽市楽座をはじめ、斬新な政策も実行できたのかもしれない。
わがふるさとで、しかも歩いて上った金華山の頂きで、わが心の師、ザビエルと
会えるとは。
ますます妄想が深まりそうだ。

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