どんな終わり?結末?終焉?

映画とは、今生きている人生以外のストーリーを疑似体験させてくれるありがたいアートだ。映画を見ることで、自分の人生そのものを見つめなおすことができる。
視覚と聴覚で一定時間、違う人生を過ごすことができる。映画さえあれば、心豊かになれるという人もいるだろう。映画とは「夢」の時間のようでもある。

最近観た、「或る終焉」という作品。タイトルだけで十分気になる作品だ。そしてその題名どおり、看護士がかかわるさまざまな患者たちの終焉・・エイズで寂しく亡くなった妻、最後まで性欲が消えない元建築家の老人、癌治療に疲れ、転移したまま亡くなった女性、車いすで生活する精神を病んだ青年・・・などなど、いずれも死と向き合いながらの辛く悲しいそれぞれの人生の最期をこの看護士が黙々と支え、そしてひとつの命が消えるのを静かに送り・・・。その人の中にはいくつもの死の経験が蓄積される。そして、その看護士がある日ランニング中に、車に轢かれて彼の人生が終わる・・そこで映画が終わる。轢いた車、それに続く車・・クラクション、町の雑踏の音・・それがエンディングの音楽のようでもあった・・。

映画が終わったとき、深いため息が出た。しばらく席を立つ人がいなかった。
おそらく、そう終わるのか。ショッキングな幕引き。
でも、これは映画だからではなく、そういう人生の終わりもあると改めて思った。
自分が死んでも、世の中は動いている、何も変わらなかったように・・。

いろんな人生の終わり方、見送り方を見ながら、終焉というものについて考えさせられた。華麗な死、美しい死は少ない。高齢化社会になり、よけいに死が哀しく、最後が苦しいことが多いかもしれない。が、いずれも予測できないことだ。人生は、あまりに残酷だ。

誕生も終焉も自分の意思と関係なく・・・人は生まれ、死ぬ。
そして、思い出す。人は生まれた瞬間から、死に向かって生きているのだということを。

いつ訪れるかわからない終焉だからこそ、意識して悔いないように生きるのみ。

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