父の日に ~愛しの生涯アッシー君~

昨日は父の日。プレゼントは毎年何か用意するが、今年はピンクの野球帽。しかし近日帰るのでそのときに渡す予定。感謝のメールと電話だけする。
そして、父のことを思い出し、エッセイもどきを書いてみる。

以下にそれを記す。
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愛しの生涯アッシー君

私の父は、岐阜に生まれ育ち、そこから車で20分ほどの地方競馬で有名な笠松町にある工場に勤め、そこでミシンを踏んで帽子を作っていた。
毎日、会社と家を往復する生活。帽子職人歴は約半世紀。手先は器用。野球帽やゴルフ帽などを作ってきた。
生来の職員気質なのか環境なのか、言葉足らずで人とのコミュニケーションがうまくない。摩擦が多かったり、不満が募ることが多く、毎夜、家で晩酌をしながら、愚痴を言い、憂さ晴らしをしていた。
そして、お酒を飲み気分が良くなると、偉そうになったり、気持ちが大きくなる。そして子供には「十人中十人がやることをやればいい。目立つことをしてはいけない」というのが口癖で、十人十色、それぞれ好きに生きればよいという自我に目覚め始めていた私は、だんだん父とぶつかり合い、遂に「女なんか大学に行かなくて良い」と、いわれたことが引き金になってか、高校卒業後、私は家を出た。

あれから30年以上が経つ。その反面教師のような父は、実は、私や母を支えるアッシー君であった。幼稚園の頃から始めたピアノ、エレクトーン。小学生時代は連日、学校が終わってから名古屋へとレッスンに通った。
父は毎日、工場の仕事が終わってから、自宅まで20分で帰ることができるのに、往復2時間かけて名古屋まで私を迎えに来てくれた。
そして、今。帰省すると父は必ず、岐阜駅まで迎えに来る。そして、行きたいところへ私を乗せて走る。もちろん母は結婚してから、ずっと父に送迎をしてもらっている。どんなに喧嘩していても、アッシー君として利用し、利用されて。生きがいのようでもある。
父は今年の秋、80歳になる。若い時から球技をやっていたせいか、運動神経は年のわりには良いとは思いつつも、いつまで運転できるのか?と気にかかる今日この頃。
「おい、何時に迎えに行けばいいんや」。
いつまで父の運転の世話になれるのか?
免許を取り上げることはできない。
毎日、遠くから父の安全運転を祈っている。

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これをヒューストン空港で買ったピンクの帽子とともに、プレゼントしようと思っている。
80歳にピンク!被ってくれるかな。

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