最近、各メディアや政治家たちの発言の中で、お詫びや弁明、指摘の場面で頻繁に「不適切」という言葉が使われている。1年前、2年前・・・過去をふりかえっても、この言葉を耳や目に残るほど見聞きした記憶はなく、最近の流行りことばのようにも思え、また一見、正しくもあり賢明に見えるがそういっておけば問題ないといった「便利なことば」としても用いられているようにも感じることがある。
そもそも、何が何に対して適切なのか。をその発言者はわかっているのかな?という疑問、また私からすれば「不適切」以上に「非常識」だと感じるときにも「不適切」が使われている。「大丈夫?」という言葉が意味の正しい理解なしに、軽く使われていることと同じ空気も感じる。
適切な表現は大切である。一方、適切な行動とは?その場面場面、瞬間瞬間において、適切な最適な行動をとることは勿論大切だ。いわんや、公的なお金で仕事をする立場であれば当然のこと。しかし、瞬間瞬間にその適切な行動ができるかどうかは、まさにその根底にあるその本人の常識であり、その人の生き方、いきざまにかかっている。
口先で「不適切」というのは簡単なことであるが、そうならないためには、もともとの人間教育が必要なのだと思えてならない。
学歴やキャリアといった一面的な価値ではなく、「人としてどうなのよ?それ、いいの?」ということがわかる人こそが、責任ある仕事を担うべきなのだ。
今は、その人の行動や言動が不適切なのではなく、人として・・・の問題だ。だから生まれ変わるか、よっぽどの更生をしないと本当の反省は難しいだろう。
間違っても、その言葉だけが流行らないように。
常識ある人間になれるよう、「適」の意味がきちんとわかり、行動に生かせる人になれるように。まずは自分のことを見つめなおしたい。
気になる「不適切」
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