父の誕生日。ちょっとしたプレゼントを送りつつ、別にハガキも出し、ショートメールも出し、念のため電話もする。なんだかしつこいような感じもするが、それぐらいしてでも、残り少ない誕生日をよかったね!と言いたい心境。
毎年そんな気持ちになってくるが、おかげさまでこのたび、78回目はなんとかクリアしたようだ。父は人にプレゼントをするなどは、おそらくしたことがない人だ。そして人から何かしてもらうことにも、もしかしたら慣れてない人生をおくってきたのかもしれない。だからいつも「そんなことしなくていい、そんな気を遣ってもらわなくていい」と、多分心の中とはある意味反対のことを口癖のようにいう。遠慮しているのもよくわかるが、最近はそんな父に「素直に、『ありがとう』でいいんじゃない?」とつい言ってしまう。すると、「はい、はい。ありがとう、ありがとう」と照れくさそうに電話の向こうで言っている。
「くそじじい、くそばばあ」と言われるか「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼ばれるか、或いはいくつになっても名前やニックネームで呼ばれるか・・・は、人生の締めにとても大切なことだ。愛らしい呼び方をされているのがいいに決まっている。呼び方は愛情、愛着の表れ。いくつになっても素直で、かわいい人が一番好かれるように思える。
だから年を重ねるごとに「かわいい」を目指すのがいいと思う。笑顔で、元気で、ちょっと三枚目で、好奇心いっぱいで、そしていつも感謝感謝・・・。そんな素敵なご年配の方を見たら、こちらも手をさしのべたくなるし、話もしたいと思う。そして何より、自分もそんな風に年を重ねたいと思う。「かわいい!」はもはや、若者のための言葉ではない。そういえば、70歳を越えたアルゲリッチもかわいかった。あんな風になれたら、本望。
年をとるほどに、「かわいい」を目指す
カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク