「顔」と「不適切」

ちょっと前まで自信に満ちた顔をしていた人、大きく見えた人が最近、小さく縮んでいる、顔つきが変わってきている。
民衆、住民の幸せのために働くことを誓い、選挙のときに輝いていた人。蓋を開ければ、自分のことばかり。公職であり、税金を使い仕事をさせていただく立場でありながら、あきれ果てる生活感覚、公私混同。側近の秘書たちは、この何年間、どう思いながら仕えていたのだろうと想像してしまう。きっと違和感を感じ、軽蔑しながら、仕えていたのだろう。地方公務員の人たちはそこらへんはクールで賢明だ。「それでいいんですか?」といった部下はいただろうか?

人の顔はその状況で見え方が変わってしまう。
おそらく見る側のフィルターが変わるからだと思うが。
今、彼は最高にみっともない。醜いおじさんで、この上なく恥ずかしい。
そのことを自分がわかっているだろうか?
鏡を見て、そんな自分に気付くだろうか?
家族は?「もう、かっこ悪いから、やめたら?」ともう言っている?
こんなおっさんのために、また税金を使って選挙をされること自体にも怒りが生まれる。あんたのせいでそうなるんだから、あんたが選挙代、一生かかって払いなさいよ。と顔を見ると言いたくなる、そんな気持ちだ。

政治家という仕事は何なんだろう。
リーダーって何なんだろう?今回もまた思ってしまう。
マスコミも周囲もいつまでも重箱の隅つつきをしていないで、違う方向に世の中に
気づきを与えないと・・。今こそ、真のリーダーに現れてほしいところ。
不快感、不信感が拭えないそんな梅雨シーズン・・。

とにかく「顔」は大切だ。人に良くも悪くも感情をもたらす。それはインプットされる情報により、見え方が変わる。

最近、街角に立ち始めた選挙ポスターの掲示板を見ながら、「顔」をよく見なければと思う。そして、作り物の顔は、見たくないとも思う。ビフォア、アフターで変わらない顔の人が大切だ。

とにかく、みっともない人、恥ずかしい人は世界都市TOKYOのリーダーに「不適切」だ。
理性と知性と愛がにじみ出るリーダー、この業界には期待できないのかな。

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