日本の交通機関の定時運行は世界にも稀といえるほど。最近でこそ悲しいかな、人身事故が増え、時折それが中断され、急ぐ人々、定時運行が当たり前と思っている人にとってはイライラする事態。人身事故の増加の件は別途考えねばならない深刻な社会問題であるが、それを別にすれば、日本のON TIMEへの取り組みは素晴らしいと、外国に行くといつも思う。イタリアやフランスでの列車遅延は当たり前のようで、本当に来るのかといつも不安に思う。まだ事前情報が入りやすいネット社会になり、対処できることもあるができないことも多い。
今回も南米行の飛行機が往復とも遅れた。今、思えばそれでも幸運の遅れだったといわねばならない。
最初に乗る飛行機が遅れると、次の乗り継ぎ便に影響が出て大変困るが、
今回は往復とも乗り継ぎ便自体が遅れるという事態。
南米に行くときはある程度覚悟をしている。なんせ最初に行ったときに帰りの便が飛ばずに1泊強制的に延泊となったことがあるため。
今回はいずれも、目的地への到着が遅れるということだけであったので、まだいい。
と、気も長くなる。
ではあるが帰りの乗り継ぎ便。予定であれば4時間ほどの待ち時間。それが乗り継ぎ地に着いたとたんさらに3時間待たされることが判明。7時間空港で待つのはなかなかの試練ではある。
ふと考えた。この3時間遅れた分の人生の時間はどうなるのかな?と。
3時間、人生も延長できる?いや、それはない。だからこの3時間を有意義に過ごす、あるいは残りで帳尻を合わせるしかないのだ。
と、待ち時間が急にできることで、いろんなことを考えるものだ。
おかげさまで、空港のラウンジで多くの旅客を見、いろんな国籍、民族の人たちの様子を観察しながら、ON TIMEというのは気象条件、そして関係者すべての善意・善行・健康がなければ実現しないことなのだと、改めて定時運行のありがたみを痛感。
今はネット社会で、今、乗り継ぐはずの飛行機がどうなっているのか。遅れた飛行機はどこを飛んでいるのかも瞬時にわかる時代。その便利さはありがたいが、
飛ぶこと自体に こんなに簡単に移動できる現実に感謝をしたい。
ON TIMEは有り難いこと。当たり前ではない。