ブエノスアイレスの墓地といえば、レコレータと答える人がいるかもしれない。ここはかのエビータら国を代表する人たちが眠る高級墓地。それ以外にはチャカリータという地区に大きな墓地があり、そこには名家といわれる家族のお墓、天国の高級住宅街のごとく、立派な墓が立ち並んでいるかと思えば、墓地内の道路を一本入ると、生前活躍したアーチストから一般の人までがここに眠っている。
1年半前に訪ねて探したけれど、亡くなって半年ほどであったためかまだ公開もされていないということで、手を合わせることもできず、悔いを残して帰った、アルゼンチンを代表するタンゴ歌手ヴィルへニア・ルーへのお墓。もう2年経過しているので、今度こそは公開されていることを願い、思い切って再び訪ねることに。前回車に乗せてくれて親身になって墓探しを手伝ってくれたドライバーの連絡先のメモがあったので、今回もお世話になることに。
ミゲルという元銀行マンの、このドライバーは本当に親切で同じ国に住んでいていたら、きっと友達のような存在になるだろうと思うほどの、いい人だ。
彼は今度こそ、私が尊敬するルーへの墓参りができるようにと、前日ネットでその墓地内の住所を調べておいてくれた。そして向かう。墓地敷地内に入るまでは楽しくしゃべっていたが、墓地に入るとさすがに無言になった。「ここですよ」その建物は、アクターたちだけの専用の集合墓地。写真がそれだ。俳優たちの墓と記されている。確か、前回もここまで来て、門前払いになったのを思い出した。
共同墓地といっても、一般の人は入れない家族専用のお墓である。ミゲルはその建物に私を促し、そこに一緒に入った。そして、管理人のおじさんになんとか墓参りをさせてやってほしいと頼んでくれる。前回は軽く断られた。今回はあらかじめ花も持ち、2回目なのでミゲルもそこをなんとか、日本から来ているピアニストですし・・・とかなんとかいって、管理人を口説いてくれた。すると、かたく厳しい表情だった管理人が「ついてきてください」といって、ルーへが眠る地下の墓地へ案内してくれた。なんとそのフロアには、アルゼンチンで活躍した俳優たちが大勢眠っていた。本当のマンションのようにそれぞれ白いドアがずらり並び、そのドアの中に生前人々を楽しませた俳優たちが眠っているのだ。それぞれに名前が書いてある。私にわかるのは、ヴィルへニア・ルーへの名前と、若い女優時代の写真のみ。そう、彼女は女優であり歌手であった。
そこに花器があり、管理人が私からバラの花束を受け取り、きれいにそこに活けてくれた。
87歳まで生きたルーへ。最後にステージで見たのは3年半前ぐらいだったか。とても美しく、安定感のある歌唱力で、こんな人になりたいと心から思うシンガーだった。
特別に入れていただいたお墓の中で、同行してくれたミゲルと、私は一緒にそれぞれお祈りした。ルーへ、ありがとう。渋谷の文化村で初めてみた映画で彼女を知った。彼女やバンドネオン、ピアニスト・・アルゼンチンタンゴの黄金期を創った人たち。こんな世界が本当にあるのかと、そののち、ブエノスアイレスに足を運ぶきっかけとなった人。家族しか入れない墓地に入れてもらって、ルーへはびっくりしたかもしれないが、私は何度も何度もお礼を言った。
ある日。ブエノスアイレスに滞在中、雷の夜。その日は店に出る日だと聞き彼女の歌を聴こうと店に出かけたが、彼女はその日、その悪天候のため店に来られなかった・・それが最期であった。墓まいりをしながら、そんなことも思い出した。
どんな人生でしたか?私のような遠い存在にまで影響を与えてくれて、本当にありがとうございました。私のお手本の一人だ。これでひとつ、自分への約束が果たせた。
墓地を出てから、ミゲルに「次はピアソラのお墓に連れていってもらいますかね」と話し、送り届けてもらい別れた。