あたまコトバ・こころコトバ

世の中の言葉には、日本語とか英語といった国語での分類ではなく、どの国の言葉であろうが、日本語であろうが時々、理解しづらい、難しいと感じる言葉がある。

それは、たとえば「遺憾」や「敬意」という言葉。
謝罪してほしいのに、本当はそうすべき場面なのに、「遺憾」
という言葉が使われる。これは第三者的であり、ちょっと遠く目線の言葉。
とても残念に思うという意味合いになるのだろうが、これは無難な言葉であるが
相手にはストレートには響かない。むしろ響かないように中立を保っているのかも
しれないが。
そして「敬意を表する」という言葉も、相手を尊重した言葉として、自分も
時々使うけれど、これもちょっと遠い感じ。無難に丁寧に相手を称えているという印象がある。
これらは政治の場面や、超公的な場で使われる「用語」。これらは私には「あたまコトバ」に聞こえる。
一方、「謝罪」や「感謝」とは、相手に直接訴えかける「ココロことば」だと思う。ごめんなさい、ありがとう。これこそシンプルかつ、相手に響く素直な言葉である。言葉で感情を覆い、理性的に伝える場面ももちろん必要であるが、人は最後は心で動く。だから、そこに響く言葉こそが、平和にも外交にも有効だと思うのだが・・。
公人のコミュニケーションは本当に難しい。自分でコトバで話せない現実もあるのだから。アタマことばと、ココロことば。できる限り、後者を意識していきたい。

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