長崎の人たちは、古くから他の町に先駆け、いち早く海外に触れ、海外文化を取り入れ、異人さんと交流し、独自の文化を創ってきた町。そしていち早く異教を受け入れ、また禁教時代を苦しみ、乗り越え・・かと思ったら、まさかの原爆投下。それが日本を終戦に導くことにもなった。
伊勢志摩サミットを開催している同日夜、NHKはBSでアメリカのマンハッタン計画についてのドキュメンタリーを報じた。原爆を作った科学者たちの証言だ。本当は日本に向けて開発したのではなく、標的は対ドイツ。しかし、ドイツでは原爆を開発していなかったことが途中で判明、それでもアメリカの科学者はそこで自分たちが開発した原爆を実験せずにはいられず、そして広島、長崎へ・・。あれから70年経過して、今回オバマ大統領がHIROSHIMA訪問。
この数日前、実はNEW YORK TIMESの電子版の一面に、NAGASAKIのことが大きく出ていた。広島と長崎は近いのに・・・という長崎の被爆者の方の複雑な思いを取材したものだった。私もずっと同じ思いでいた。今回広島へ出向かれた長崎県知事、長崎市長や長崎の被爆者の方はどんな思いで広島入りし、メッセージを発したアメリカ大統領を見ていただろうか。長崎の人は、「異」なるものを広い心で受け入れ、ときには耐えに耐え、祈り、生き抜いてきた人たちであるから、今回もこの現実をそのように受け留められるだろうか。
被爆者ホームを初めて訪れた昨年の春のことを思いだした。あそこに棲む被ばくされた高齢者の方たちは、テレビの前で何を感じ、新聞を読み何を思われただろうか。今回のHIROSHIMA訪問は政治的イベント。ではあるが、人が人として感じ、思ったことを素直に表現することで、心の傷が癒えることもあるのだと思いたい。
痛みを受けた人ほど、寛容であり、優しく・・。NAGASAKIの人は歴史とともにそんな精神性も身につけてこられたのか。
複雑な歴史的な日。オバマ大統領は広島を訪れ、その現実をリアルに想像する機会を得、そして記念すべきメッセージを表明した。言葉を吟味した考えられたメッセージであったと思う。長崎の人々にも伝わるメッセージだったと思う。次にはぜひ、NAGASAKIにも出向いてほしい。
次は、NAGASAKIへも
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