まもなく、サミットが開催される。都内の各商店街レベルまで警戒態勢が敷かれ、日本に警察官は何人いるのかと不思議に思うほどだ。もちろん緊急体制ということで周辺からの応援部隊という方も多いことだろう。ここまで厳重に対応しているのだから、無事故に無事に終わることを願うし、早く平常の暮らしに戻ることを待つ。個人的には、サミットは何のため?と今だに思っているので、正直、まさに「まつりごと」業界のお祭りだと理解し、今はそのお祭りの準備に余念がないのだとも思っている。その下打ち合わせにまで外交されるので、このお祭りは本当にお金がかかる、税金をたっぷり使って行われるお祭りなのだ。であれば、「○○宣言」をそこで発表しても、正直そこじゃなくても発することができるんじゃないの?と思える内容では意味がない。まあ、世界のまつりごと業界の限られたトップが集まることに意義があるそうでその参加当事者にすればそれなりの理由はあるのかもしれないが。せめて国民に、その開催地に直接的なメリットがあってほしいが、そのひとつは開催地のプロモーションのきっかけになるということか。そのことは理解できる。世界から注目されるチャンスとみれば、開催地にはうれしいこと。そして、何よりも今回はそれ以外に、アメリカの現役大統領が広島を初訪問するとのこと。サミットに来るついでということにはなるが。大統領期限迫ってのぎりぎりのというタイミングでもあるらしい。メディアは何度も報じる。アメリカは謝罪をしないのだ。と。来てもいないのに、何で決めつける?来たら、現実を見たら、謝罪したくなるのが人間じゃないのか?と思えてならないが・・。謝罪はしないが、未来に向けての平和のメッセージを公表されるとか。メッセージ・・。一番のメッセージは、本当は謝罪だと思う。「理由はいろいろあったにせよ、でもこれは誤った判断でした。申し訳なかった」というメッセージが出れば、世界は驚き、納得する。そして「いえいえ、こちらも世界に対して申し訳ないことをいっぱいしましたから。ごめんなさい」とお互い謝罪しながら、「じゃ、これからもっと助け合いましょう」・・。これが自然な人としての対話だと思う。が、サミットだから、頂点にいるらしい人は謝罪すると、それで済まない付随物が出てくるから、謝罪してはいけないのだ。時の指導者たるや、その時々のシビアな判断をしてきての「戦争」「原爆投下」であるからそのときは間違っていなかったから・・。これが公人の生き方なのだろう。政治とはそういうものだ。心にあることをそのまま言わない、言ってはいけない。駆け引きの世界だ。・・・となっていることに、疑問をもっているのは、私だけだろうか。謝罪から生まれる心のメッセージに期待したい。と思っている人も多いだろう。人間、国を越えて、「ありがとう」「ごめんなさい」と心から言える関係が一番の友情になる。と思うので、まずは、国や公人を期待せず、それを個人レベルで実践すればいい。いずれにしても、未来がよくなるように、全世界が協力できる真の平和を希求できるきっかけになることが最重要だ。