30歳で京都から転勤、あれから20年以上が経ち、東京暮らしが人生のなかで一番長くなった。新宿区という町に住み、仕事をしてきた。いや、思い起こせば住む前から、20代後半から出張に来ては時にはホテルをとらず始発まで飲んで・・・ということもあったり、24時間喫茶で時間を潰したり?もう記憶もあいまいであるが、とにかく私にとって東京といえば新宿は活動のホームベースで、この上なく懐かしみのある町になっている。一般に新宿といえば、歓楽街のイメージだろうか。歌舞伎町。その存在を初めて知ったときは正直危険も感じた。その歌舞伎町で長年働いてきた女性。おそらく私が20代の頃からのおつきあいになる。ずっとスナックでママとして店をきりもりされ、60歳を越えるまでがんばってこられた。彼女の店にちょくちょく寄る、お客様をお連れする、ときには貸し切りで小さな会を開く。思い起こせば本当にいろんなことがあった。店のカウンターにひとり座り、客商売というもの、水商売というものも見させていただいた。いわゆるオネエたちにもこの店で出会った、単に会社での仕事だけをしていたのでは学べない大人の世界を早くに学べたのも、そのママのおかげだったかもしれない。お客さんに来てもらうためにいろいろ苦労していたことも、その業界での掟のようなことも・・・。ママたちの勤務が終わってから真夜中に一緒に食事に行った経験も今は新鮮だ。
その元ママと、久しぶりに再会する。その場所も、やっぱり歌舞伎町にほど近い今、再開発が進む東新宿だ。「ごめんねー。化粧もろくにしないで~」と待ち合わせのカフェで笑顔で迎えてくれる元ママ。いやいや、やっぱりその業界筋の方はキレイだ。久しぶりの再会に、話が止まらない。今ではママと客ではないけれど、なつかしさと親しみでうれしくなる。健康の話、今の暮らしについてたずねる。「人生はいつか死ぬんだから、それをどうこう言っても仕方ないよ。なるようになる。それだけのことよ。今をいかに楽しく生きるかじゃない?」という。相変わらず腹の座った前向きさ。そう、現役のとき、カウンターに一人座って飲むサラリーマンに「人生ってそんなもんよ。飲まなきゃやってられるかってときもあるもんよ」と慰めていた光景がよみがえる。新宿で夜の世界を見てきたから、本当の意味でしたたかに生きる、強く生きるということについてよくご存じなのだろう。ママはやっぱ、強いな。と実は健康状態を心配しての再会であったが、その不安は吹き飛んだ。「これ、長崎のカステラの切れ端ですけど~」とそんな半端な贈り物を大そう歓び、受け取ってくれる。「もうね。70だから」と酒とたばこで焼けたかすれた声で笑う。「また、今度〇〇さんと一緒にごはんしましょ」と元お客さん仲間の名前を出し、握手をして別れる。客商売、水商売で生きてきたシングルマザー。先日会った演歌歌手といい、この新宿の元ママといい、私には刺激的な人生を生きる人たちなのである。新宿女は、強い。私も一応、新宿女?の端くれとして、笑いながら強く生きなければ。
新宿の女は強し。
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