今月になって、直接にそのご本人とは面識がないけれど、友人の親御さんや、母世代の知人の訃報が続いている。今回も出張の宿泊先でいつもよくしていただいている方のお母様が今月亡くなられていたとのことを知り、昨日朝も海外に住んでいる友人のお母様が亡くなり、日本へ向かうとの報せ・・。季節的なことかもしれないが、自分たちの世代がそういう年齢になってきたということかもしれない。「人ってこうやって死ぬんだと思いました。まだ、このへんにいるかなと思うんですよね」「心の準備はできていました。二度目の喪主です。しっかりやります。でも、帰国して母の顔見たら、泣きじゃくると思います」・・・いろんな言葉が脳裏を駆け巡る。とても他人事とは思えなく、
自分の場合もいつ来るかもしれないと背筋も伸びる。人の死に順番があるのかどうかわからないが、いずれその番がくる。何がきても、そのときを受け入れ、そうすることで、人生とはこういうものかと新たな学びをいただくのだろう。親のことを乗り越えると一人前になるのかな。最近はそんな気がしている。そういう意味で、幸運なことに一人前になれないまま、50歳まで来ているのかもしれない。改めて、知人のお母様のご冥福を心よりお祈りしたい。また友人のことを、見守り続けたい。
悲しい順番を受け入れる覚悟
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