ある青年が働く職場は飲食店。お客さんとの待ち合わせに使わせてもらう。その相手を待っている間に、その青年が近づいてきて小さな封筒をテーブルの上に置く。よく見るとその封筒、クラフト紙っぽいが金色だ。しかも花の箸置きならぬ、カトラリー置きのようなかわいらしい小物の上に、その封筒を添えるようにセットする。なんだか芸がとても細かいぞ。「ちょっと見てください」と言われ、その小さな封筒を開けると、小さなお手紙。「心のお母さんへ いつも励ましてくださってありがとうございます。おかげさまで笑顔で自分らしく過ごせています。どうかお体を大事に、元気で♡な毎日をお過ごしください。そういつも願っております。○○○(名前)」と緑色のペンで、そして文中の♡だけはピンク。いやー、びっくり。「あっ。へ?」と反応すると、その彼が(休憩時間に急いで買ってきたのか)高級な紅茶を袋から出して「これ、よろしかったら。母の日、もう終わったんですけど~」といって、その紅茶をなぜ選んだかの説明もしてくれた。あまりにびっくりして、言葉が出ず、生まれてこの方、誰からもお母さんと呼ばれたことがないため、「心のお母さんなんだ!」と驚いた。彼がどんな気持ちで用意してくれたのかと思うと、言葉にならないうれしさがこみ上げた。そのあとお客さんがそこに現れ、しばしそのことを忘れ、会食して、相手を見送る。そして、自分もその店を出るときに、その彼が今一度、帰り際の私に黒い袋を渡す。ちょっと照れくさそうに「これ、カーネーションなんです」「へ?何?カーネーションもくれるの?」と半信半疑でそれを受け取り、何度もありがとうと言って、店を出る。そしてエスカレーターに乗ってすぐその黒い袋の中をちらり見ると、なんと紫のカーネーションが入っていた。手紙といい、いわくつきの紅茶といい、そしてこのマイカラーのカーネーション。まったくやってくれるわ。と思いながら、たまらなくうれしい気持ちになった。いつもどおり地下鉄に乗るのに、ふわふわした感じで気を付けないとホームから落ちそうだ。とも瞬間思うほど。
こんなわけのわからん人間を「心のお母さん」なんて。もったいなく、申し訳なく・・。人からバラをいただくことはあるが、カーネーションは初めてだ。
「心の〇〇」。なんと素敵な響きだ。今回は青年の気持ちの表現に完全にやられた。これからも応援し続けたいと改めて思う。そして、お互い、自分らしく生きていけたらいい。そして呼ぶときは心の母は心で呼び、口に出すときは「まーかあさん」ではなく、「まーねえさん」にしてくれるかな。
「心のお母さん」に紫のカーネーション
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