医療現場のコミュニケーション力。

腱鞘炎。この痛みをなんとかなくしたいと、この1か月余り、整形外科への通院。そこで処方される薬の投与・・。貼る、塗る、飲む、揉む、温める、固定する。この固定がなかなかできない。通う整形外科も1か所ではなく2か所。それぞれのいいところ、そうでないところも知り、使い分けるがなかなか西洋医学だけでは・・・人間の体は完治できない部分もあることも痛感。そして今は鍼灸院にもお世話になっている。今回の一連の治療活動で思っていることは、医療サービスを行う方々のコミュニケーション力の重要性だ。
ある医院は、立派な機械がある。リハビリをするだけならそこがいい。でもそこの先生は患者の目を見て話さない。質問をしてもこたえようとしない。信じているのはレントゲンで見えた骨の具合と、自分が勉強してきた知識だけのようだ。だからかいつもすいている。すぐ診療され、すぐリハビリ室に回される、すいているから行くという選択肢。一方、もうひとつの整形外科はいつも患者さんが待っているから混み合っている。先生が温和な方で親切に対応してくださるから。やさしい先生というのは不安に思う患者にはありがたい存在。町医者の鏡のように思える。そして今回お世話になっている鍼灸院の先生は、最初ドアをたたいた瞬間からサービス業としての意識が高いと感じた。キャッチボールをいとわない。症状をきちんと聞き出すためにいろいろ聞き、またこちらが聞くことにもきちんと答えようとされる。また治療後の過ごし方のアドバイスも丁寧だ。「親身」とはこういう姿勢を言うのだと感じる。その人の立場に立った言葉かけ、応対。そして相手をお客様として接しているのがわかる。「○○してくださいませ」という語尾もすばらしい。「おかばんは、左の肩になるべくかけるようにしてくださいませ」という具合だ。治療院に入る瞬間から、出る瞬間まで相手を思う様子がにじみ出ている。そして音楽も癒しのBGM曲をセレクトされている。なるほどと思う工夫が随所にみられる。痛みがあるから直したいのはみな同じ。しかしどの方法がいいかは人によって違うはず。だから人々は何をしていても不安。ネットでも多くの情報を検索できる世の中になっているが、それでも不安はなくならない。対面した、目の前のこの人が言うのだからと思って信じ、その方法を選択できるのだ。結局は、「その機械」ではなく「その先生」になる。その先生の技術力が高ければ、最高なのだ。
人工知能の活用が日々叫ばれるが、人が人を安心にしてくれるのは、やっぱり人の力。医療現場のコミュニケーション力向上は大きな課題だと思う。

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