究極のカフェは、わが家か?

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NYでは、最近古い店舗や教会(正確には牧師養成所)などをリノベーションした一風変わったカフェが人気だ。立地も繁華街に限らず、こんなところで経営成り立つの?と思うような町のはずれにも誕生、静かな話題を集めている。スタバがまずいアメリカンコーヒーから美味しいコーヒーを飲用するライフスタイルを生み出し、そしてサードプレイスという空間が誕生、全米だけでなく世界中に現代人に不可欠なカフェ文化を普及させたが、マニュアルにない究極の手作り、そしてトレーサビリティにもこだわるオンリーワンのカフェが新たな潮流のようであり、そして古き建物の中で静かに1杯のコーヒーを味わうひとときが、忙しい日々をおくるニューヨーカーたちの癒しにもなっているようだ。そこはコーヒー1杯5ドル程度だから、スタバよりも1ドル以上は高い。さらに驚くのはSENCHA。ちゃんとした日本の急須で正確に時間を計って淹れてくれる。ただし湯飲みにではなく、ドイツブランドの耐熱グラスに注ぐところがNYらしいが。しめて6ドル。一応2杯くれる。NY在住の仲間は、「日本じゃ、煎茶にお金払う人いないよね。ばかばかしい」と言っていたが、コーヒーもお茶も同じぐらい価値がある。その1杯へのお茶・豆、器、そして淹れ方のこだわり・・・。5ドルでも6ドルでも決して高くないという感じはした。カフェ・・・今、ビジネスの現場でもいろんな業界でも、カフェという名前を付けることにより、人が集いやすい空間・イベントが企画されている。カフェという言葉からは限りない解放感がある。一方、流行っているカフェに慣れすぎると、「やっぱ、おうちで飲もうか」という感覚もある。おうちでおいしく飲めるのが究極のカフェなのかもしれない。自分を自由に、解放できる時間をもちたい。この願望、欲望は世の中が忙しく、過密になればなるほど、高まるのだと思う。
リノベーションカフェ。こちらは日本でも人気の兆し・・確かにある。

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