まだまだ貧乏なわたし

最近、来日された元ウルグアイのムヒカ大統領。前から何かの記事で知り、ほぉー、こんな偉い方がいらっしゃるのか~といたく感動しており、いつか会いにウルグアイまで行ってみたいもんだと、勝手に心の師匠として仰いでいる。その方が著書の文庫出版を機に、日本にも学びたいとのことで初来日され、各界で報じられた。その方は「貧しい人とはモノを持っていない人ではなく、モノをほしがる人のことだ」ということをおっしゃっている。おそらく多くの方の心に刺さったのでは。むろん私の心にもグサリささった。そうか、じゃ、今度この方が中国人の爆買状況をごらんになったら、どう思われるのか?と一瞬、よけいなことも思ったが、人のことはおいといてわが身のこと。

私はまだまだ貧しいな。と正直思う。若いころから比べれば少しだけ考えるようになったかもしれないが、まだまだムヒカさんに比べたら恥ずかしいほど貧しい。今回、この言葉聞いて、もっと身を引き締めねばと思った次第。

モノよりも大切なことが何かはだいぶわかってきたつもり。お金より大切なことについても同じだ。モノがなくても、楽しく生きられる、お金をかけなくても幸せに生きられることが大切だ。おかげさまで、今の自分はとても幸せだ。そのことがわかっているのだから、もっと心豊かに暮らせるはずだ。でも、現実都会にいると、誘惑が多いのも確かだ。だから、もっと根本的にわが人生を見つめなおさねばならない。

マザーテレサに感銘を受けたと同様、ムヒカさんにも同じような感動を受ける。ご苦労があってのその言葉。重みが違う。もしかしたら、つらく苦しい経験こそが、人を真の豊かに導くのかもしれない。苦労がまだまだ少ないわが身は、まだ貧乏な人だ。

もっともっと豊かな人になりたい。この正しい意味を、若い人たちもよく理解し、そうなるための道を進んでくれたら日本はもっと良くなる。経済力とか、軍備力とか・・相対的かつ、結果人々を貧しくするための生き方ではなく、一億総●●ではなく、ひとりひとりがそれぞれに笑顔になれる生き方が大切なんだよ。と、師匠は教えてくれているように思う。

ウルグアイは、わが愛するアルゼンチンの隣国だ。ブエノスアイレスと共通する音楽文化をもっており、素朴だけれど心をうつ音色が根付いていると聞く。いつか師匠にあえるように、がんばろう。まだまだ貧しいわたし。もっと覚醒せよ。といいシグナルをいただいた。

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