注意は楽しく、ときに持ち上げて。

年を重ねると親子の力?関係が逆転する。というのはある意味そうだと思える今日この頃。親たちは戦後の時代を十分がんばって生きてきた!あとは余生を楽しく元気に過ごしてもらえればいい。と思う。親のおかげでこの世に生まれることができたのだから、親をサポートしていくのが子の役目。

しかし、時々(常に?)言いづらいことも出てくる。その言い方は大変難しく、尊厳・プライドを損ねないようにしないといけないし・・。年々子供化していき、見かねるときもあるので、いわざるを得ない。そこで言い方をいろいろ工夫することにした。

たとえば、大変お恥ずかしいが、食事中、調子に乗ると食べ物が入った状態で話す。たぶん、食べていることを忘れてしゃべっているのかもしれない。そんなときは、「食べながらしゃべるのやめて」とストレートに。そのときは聞くがまたしばらくするとまたやるので、また言う。次に、感情が高ぶってくると、箸をもって、相手を差したりすることもある。さすがにこれは恥ずかしい。でもストレートではなかなか。そこで・・「お父さんって、指揮者やった?そんな食事中に指揮してくれんでもいいしね」と言ったら、父の手が止まり、「指揮者ってあの白髪のおじい、なんっていったっけ?」とそっちの話題にいく。自分の方がおじいのくせにと思いながら、この作戦はうまくいったと心の中で笑う。そのあと、また箸が登場したので、「お父さん、またオザワセイジになっとるよ。」というと「そうか」と言ってやめる。その反応が面白くて笑える。

さらに「車の運転だけどさ、オトウサン、めちゃくちゃ運転うまいと思うけど」と少しおだてながら話しかけると、「そうや、おれはプロ級や」と予想通りの切り返し。「でも、やっぱりもう80になるし、これまで以上に気を付けてね。なるべく歩いて、自転車で、電車で、ときにはタクシーもいいから。うまいけど、気を付けてたのむね。」というと、おとなしくうなづいて聞いている。

本当はいつまででも乗ってもらったらいいし、交通事故は誰にも起きることであるから、と思うが自分の年齢を意識してもらうために。

親にも誰にも直球で言うのではなく、おもしろおかしく、ときには持ち上げて言うという工夫もいいものだ。そう、相手が気持ちよく記憶して、行動してくれることが大切なのだ。

親との難解コミュニケーションは自分にとって楽しい勉強の場。これも定点観察で得るお宝だ。

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