京都へはだんだん、足が遠のいている。30年前に初めて一人暮らしをしたときに、憧れを抱いていた京都。ずっと好きな街であったし、若き日の出会いも別れもすべて宝物。そしてなんといっても一人で歩き、自転車で走り回ること自体が楽しく、路地や商店街も含め、日常と非日常、古と今が混在している京都の普通の風景がいつも新鮮で、たかが通勤であっても、通学であっても毎日「あ、京都だなー」とそこにいるだけで幸せを感じていた時間が懐かしい。
今は外国人の数が多すぎて、町がごった返している。とくに玄関口である京都駅はおぞましい状況だ、大きなカバンを背負い、ひっぱり歩き、突然立ち留まり、スマホを見たり、地図を広げ、ときに食べ歩きをされ、話をしながら行く先を調べている、ツーリストたち・・。駅ビルのドーナツ売り場で母国にはない日本のドーナツを見て、とてもうれしそうに買い求めている欧米人の列も印象的。ただいま、インバウンドを推奨しているわが国であるが、こんな混雑ぶり、誰がうれしいのだと思ってしまう。これ以上来たらどうなるのか?恐ろしい。必要最低限、会うべき人と駅近くのひそかなミーティングスポッで会い、用事だけ済ませて、次へ移動したくなってしまう。今回もそうだ。駅だけで済ます。
昔から知っている人ほど、かつての京都が好きだった人ほど、今の京都の大混雑ぶりは歓迎できないだろう。
どの売り場へ行っても混雑、混雑。きっとお土産天国のKYOTOは何かと珍しく、面白いのだと思う。東京よりも、観るべき場所がコンパクトに詰まっているため、寄りやすく、廻りやすく、外から見た日本の文化、歴史スポットがいっぱい、クールジャパンの発信地?そして昔からおもてなし上手という点では外国人観光客には最適な訪問地であるとは思うが、
大切なお客を、応援団を失くし、ともすれば町全体が品のない、新京極の超拡大版のように変質していく・・・。それでいいのか?わが第三のふるさとは・・・。
住民の方の戸惑いを痛感する。OH!MY GODと思わずにいられない、KYOTO。生きているうちに静かに訪れたい・・・はもう無理かも?大変危険なインバウンド政策だ。
平安建都1200年のタイミングで、作った1冊の本のタイトルを思い出す。それは「京都の肖像」。そうこの町の肖像はこれから一体?とても心配。
また行きたい街、もう行きたくない街。街の質の変貌が客層を変え、客層の変化がまた質を変える。
ああ、オリンピックが近づくのが怖くなってきた・・。