櫻が咲いた。わが家の前にある桜の木(もちろん人様の敷地)も咲いた。一分咲き、三分咲き、そして五分、六分・・。出張から帰ったら満開になっていた。それなのに、なぜか感動が薄い。見事に咲いているのに「わあ!」という気持ちにならない。「なんか、桜、きれいじゃないよね。なんでやろ。去年もそうだったかな。空気が汚いのかな」「曇りだからじゃない?ピンクがもっと濃い桜なら、もっときれいに見えるんだろうけれど・・」そうだ。桜がきれいに見えるのは、晴れた日、明るく青い空の日。きれいな水色に薄桃の桜の花色が映える。グレーの空だと薄汚い、ダークな桜になってしまう。
これは、まさしくカラーハーモニーの世界だ。自然界の色まで人間が変えることができないが、桜だけ咲いてもきれいにはならず、それを華やかに見せてくれる「空」の存在がいかに大きいのか。曇り空では花見もサエない。晴れているからこそ、人はうきうき、花見を楽しめるのだろうか。今にも雨が落ちてきそうな空では、このまま散ってしまうのではという心配だけが募ってしまう。
どんな存在も、それ自体を美しく見せてくれる背景があってこそ、美しく見えるのだ。では、私の空とは??早く晴れるといいのだがと思いながら、空の存在の偉大さ、影響力を改めて思う春本番。結局一度もいい空が現れないうちに、雨で散ってしまったのが残念。