旅先では荷物が多いとき、歩き疲れたとき、不意の大雨などのときにタクシーを利用することが多い。NY空港でのタクシー乗り場ではいつも緊張する。どんな車?どんなドライバー?何度乗っても緊張する。まず、オンボロのタクシーでないことを祈る。そして怖くなさそうなドライバーであることも・・。人は見かけで判断できないが、やっぱりそう思ってしまう。だが、だいぶ慣れてきた。そのせいかは知らないが、最近おかげさまで悪い人、怖い人にはあまり遭ったことがない。本当に怖い人、悪い人は見かけはそうではないから。以前若い頃、白タクというのに騙されて・・・・・ということもあったが、そのミスは二度と繰り返さないように用心して、こぎれい、イケメン風のドライバー、おかしな誘い方はひたすら無視、ちょっとオンボロ車率が高くても比較的安全なイエロータクシーを利用するようにする。今回、巡り合った車も、おんぼろ・・・であった。ドアもちょっと危ない。車内も汚い、運転手と客席とのバリアもない、運転手自体大丈夫?と心配にもなる。このおんぼろ社、日本ならこれだと営業させてもらえないんじゃない?と思うほどの古さ。ドライバーもちょっといかついおにいちゃん・・。でも、乗り場でそれに乗るようにと言われたため、それに乗るしかないのと、先方はドアを開けて客である私を待っているため、ぱっと切り替えて満面の笑みであいさつを交わし、車に乗り込む。そこで笑顔をふりまいておけば、相手も親切になるはず?車に乗り込み、二人だけの密室で沈黙は怖いので、なんでもいいから話しかける。まずは天気の話。これは大丈夫だ。そして、そのドライバーの運転が安全で的確であれば、褒めちぎる。これで相手も気持ちよく、より安全に運転してくれる。
毎回、いろんなタイプのドライバーに出会うが、これは実はコミュニケーションの勉強であり
世界を知るにもいい経験だ。家族のこと、仕事のこと・・・話し続けて「信仰する宗教は?」
と質問を受ける。これは日本で、タクシーの中ではなかなか出ない話題だ。「うーん、私はとくに特定の宗教を信じないけれど、多くの日本人は仏教、そして時々イベントとしてクリスマスなどカトリックの行事も受け入れ、楽しんではいるけど・・・」と答えると、彼は熱く語り始めた。「いやー、仏教は宗教(releasion)ではない、societyだ。宗教というのはムスリムとか、カトリックとかユダヤとか・・・神がいてもっと自分に近い存在だ・・・」彼はエジプト出身40歳、NYへきて20年以上。家族は母国らしい。そして熱心なイスラム教徒だろう。この話を聞いて、仏教は宗教ではないという見方にある意味納得した。宗教の定義自体が日本でのそれと異なるのかもしれない。そして、神の存在があって自分は導かれているということもなるほど、だから神に敬虔であり神の名の下に何でもできるのだ・・。ま、その信じる対象が異なってもそれぞれ、自分がおかれている状況で、それを信じ、幸せに生きているならばいいと思う。車をおりるとき、「子供5人もいるんだから、がんばって!パパ!」と言ったらかわいらしく笑って見送ってくれた。と思ったら。私の荷物を取り出してくれたあと、ボンネットが閉まらなくなり、自分で修理し始めていたのも印象的。きっと時々そういう事態になっているのだろう。
この国は何人に出会うかわからないのが魅力のひとつだ。ピラミッドをみて育ってきた人たちとは違う人生観に宗教観。違うもの同士が尊重してがんばって助け合っていくのが良い。
宗教の違いで、恐ろしい争いが二度とないようにと強く強く思う。
「タクシーで語り合う」?のも時にはよし
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