20代後半のある日突然、ひとりで韓国へ行ってみようと思った日があった。その頃、韓国は未知の世界で、南北の関係、日本との歴史問題から、足を踏み入れるのがためらわれる・・、不思議な文字の言葉だし・・・・と、そんな空気があったが、旅に関する本だけはむさぼるように読んで、遠い隣国に想いを馳せており、見えないものに背中を押されたようにフリーツアーに申し込んだのだった。エアーとホテル、あとは空港と市内の送迎付き、あとはご自由にというプラン、その送迎役として出会ったガイドさんと意気投合し、その後も長く交流が続いた。あれから四半世紀の月日が流れたが、その間、韓流という消費文化が両国でもてはやされ、それはそれは多くの日本人観光客がソウルへ流れるという時代もあったが、それも今は昔。今回、本当に久しぶりに、おそらく4年ぶりの訪韓。その間に現地進出など果たした店舗調査や最近の流通やアートビジネス等の取材を目的にした、しかも1泊2日という国内出張と同じ短さ。そう、それでも十分に用が足せるほどに、近い国。にも関わらずのご無沙汰訪問。いやはや、空港に着いた瞬間から驚く。ここでも中国観光客の「塊」というか群れというか、大集団に出会うのだ。つい最近は、長崎で、銀座で見かけたのと同じ光景に出会う。それぞれが首から大きな名札を付けている人々が入国の手続きに並ぶ。とてもNOISYだ。団体旅行なので緊張感もなくわが町にいるように大声でしゃべりまくっている、きっと楽しさも増して声が大きくなっているのだ。しばらくの間、その喧騒に我慢。さらに驚く。市内の免税店は、かつては日本人客がほとんどであったはずなのに、今やほとんどが中国人。その賑わいというか、圧倒されるほどの爆買いの様子に、この隣国も変わりつつあることを痛感。今の為替では日本で購入した方が安いが、中国で買うよりは安く、日本に行くよりも近いため、来やすいのかもしれない。と、すっかり中国人にとっての買い物天国となったソウル。そしてこの街角には、カフェがあふれる。交差点ごとにスタバがあるというと言い過ぎであるが、来ない間に一気に集中出店しているようだ。それ以外でもカフェ自体この3~4年、増加している。この喫茶文化の成長は何を意味するのか?カフェの乱立と経済状況、女性の社会進出、コミュニケーションの変化には関係がありそうだと、ひとり町を歩きながら、あれこれ想像を巡らす。町の中心的繁華街である明洞に活気があると瞬間思ったのは、声の大きな中国語のせいだった。昔とはかなり様子が変わっているような気配を感じまくる。
この隣国は、たまに訪ねる親戚のような感じか。20年前に初めて泊まったホテルにたまたま用事があり、そこに寄る。このホテルも大きく変わった。でも確かにソウル初訪問時にここに来たんだとその場所から歩き出した自分を思い出す。あの元気なガイドさんに再び会いたいという気持ちを抱きながら、日本人相手の彼女の仕事はまだあるのかなと心配にも・・・。時を越えて、海を越えて、隣国に少しだけ触れる。懐かしくもあり、寂しくもあり・・・。韓流で燃えていたあの時代はまた来るのだろうか?長い1泊2日に感じる親戚訪問だった。