ある直木賞作家の話を聴く機会を得た。書く人は話すのもうまいということに改めて気づく。いや、人によるかもしれないが。話すのがうまい人は書くのもうまいか?まだ未検証ではあるが、おそらく、言葉を扱う仕事をしている人は、そのアウトプットの方法が違っても、言葉の使い方にたけているはずだ。面白いかどうかは別として。
今回お聴きした方は大阪出身、ずっと大阪で活動されている先生で、ずっと懐かしい大阪弁で生い立ちから、作家になるまで、賞をとるまでの話をメリハリをもって、苦労話も楽しく聞こえるように語られ、飽きることなく話をされた。そして話の最後に、作家として「書く」ということについてのその方のこだわり、ルールについて少し語られた。そのなかで印象に残ったのが「オノマトペ」をつかわないで書く。という考え方。オノマトペとはもともとはフランス語で日本の広告業界ではすでに周知されているが、擬態語である。すらすらと話す、ぱくぱく食べる、おいおいと泣く・・といった具合にその状態をよりわかりやすく表現する装飾の言葉。この先生はそれをつかわないで書く。と言われる。
広告であれば、コピーライターであれば、企業であれば、このオノマトペが入っている方がよりわかりやく、伝わる。ということのはずであるが、そうか文学作品というのは、そういった直接的な言葉を使わないで、いかに読者に想像して読んでもらうか。というところが大切なのだ・・。売ろうとするビジネス界の言葉と、文学作品での言葉の違いについて考えさせられ、大変勉強になった。そして、最後に、それは「あくまでも、私の考えですけどね」と言われたのも印象的だった。長年仕事をしてくると、自分のやり方、自分の型というのができてくる。そこまでできるのがプロなのだ。その先生は、病気がちの少年時代があっての作家人生になったようであるが、動機は背景は人それぞれであっても、プロというのはこういう方のことを言うのだと思った。実はその先生の作品をまだ読んだことがなかったので、早速・・・と思っている。話が上手いというのは、生きるのに重要な才能だ・・とも改めて。