匿名で社会が変わる、不思議な世の中。

匿名が流行っているようだ。名前は言いたくない、言う必要がない。ちょっと古いといわれるかもしれないが、ラジオのリスナーネームなら匿名でもいいし、それは想像も膨らみ楽しい。しかし、深刻な内容を発信するときにも匿名。ご本人にとってみれば匿名だから言えたことだと思うし、それでよいだろうが、この1名の匿名投稿から、共感が広がり、抗議行動となり、社会への不満、批判が瞬く間に点から面になる・・・政府はその影響を恐れて、その事態を収めるために目先の対応に追われている。この現象は?じゃ、国会議員は要らないということにもなるのでは?誰もが直接、メッセージを発信できる世の中、とくに身元を明かさなくてもそれなりのインパクトがある内容ならば、それで世の中が動いてしまう・・とは??この現象については、正直、違和感を感じる。きちんと発信するならば、自己責任の下、匿名ではなく発するべきだと思うが、今回の一例がきっかけとなり、きっと今後も同じようなことが引き起こされ、その都度、お上はその反対勢力、批判をかわすために目先の行動をとるかもしれないと思えてくる。パーソナルメディアの匿名性は一億総発信ともいえるし、社会参加の手段といえばそれはそれであるが、無責任性と拡散威力のこわさも感じる。

一方、もともと発信のプロである人たちの発信についても疑問が沸く。本当にそれ、今伝えるべきことか?本来の存在目的からずれているようにも見えるマスコミの発信の現状・・。メディアの活用のされ方が歪んでいると思えてならないのは私だけだろうか。いずれにせよ、自分の意見を言うときは、責任をもってが大前提。感情をぶつける、暴力的な発信・・これ以上加速せず、しっかり対話、コミュニケーションし共感しながら共生できる世の中・・になればいい。いろんな意味で、言うべきことを言う、伝えるべきことをきちんと伝えることが当たり前の社会になるように、切望する。

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