自分のカン覚に、従う。

時々、それまで企画、計画していたことを突如、止めよう。とストップすることがある。とくに旅においてである。もちろん人に迷惑をかけたりするようなことはせず、自分だけで完結する計画の場合に限り、稀に急にブレーキをかけることがある。たとえば、ブリュッセルでのテロ。日本でも騒いでいる。ユーロ各国はもっと深刻だ。日夜、テロとの戦いについての報道熱は高まるばかり。今、ヨーロッパ周辺にはいかない方が安全だ。では、アメリカ大陸はどうか?たぶん、大丈夫だと思い、計画を立てていた1か月前。しかしここのところ、待てよ、ヨーロッパからNYはほど近い。もちろん大西洋を渡るが、ここは近いと考えた方がよい。すでに標的になっているという情報もある。そこで現地の仲間に問い合わせると、「いや、今のNYはまったくテロの危険性はないよ。心配無用。むしろ大統領選に向けての熱い状況も見られるから、今はおすすめだ~」とのたまう。その中にいると見えるもの、聞こえるものも変わるだろう。いろんな情報を自分なりに集め、解釈しながら、自分のカン覚に従う。もちろん東京も今はとても危険である。でも旅先での危険はさらにリスクが高い。慣れない土地での危機状態はなるべく避けたいもの。いつでも、自分で正しく判断できる。人のせいにはしないということにしたい。

近年、世界中の旅人たちは、多かれ少なかれ心配しながら、以前より大きな心的リスクを抱え、でも自分は大丈夫だろうと最後はわが選択を信じて、出発しているだろう。OKのサインを感じるときはそのまま行動すればいい。少しでも違和感を感じる場合は方向を変える、タイミングを外す方が賢明だ。いずれにせよ、自らのカン覚を大切にし、行くとき、待つとき、しっかり見極めよう。

先日もトルコ経由の便を予約していたが、行かなくて良かったと思う現実が起きたばかりだ。地球が小さくなったと感じる反面、危険度も高くなったということを忘れずに。

 

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