甥っ子と、その母(妹)より4月から通う学校が決まったとメールが入る。もともとの第一志望校であったかどうかはわからないが、それでも受けたところに合格でき、念願の一人暮らしもできるようで、良かった良かったと、何も手伝ってもいないのに勝手に安堵する。受験とか試験など、「ふるいにかけられる」ことが実は好きではなく、受験生のときも、それ以後も受験に対し、全能力をかけた記憶もなく、中途半端にここまで生きてきた身ではあるが、それでもあの受験期のなんともいえないだらだらしてしまいそうな長い時間での「受験生なんだから」という縛りは、窮屈でなんとも逃げ出したいようなそんな空気で・・。だから行く先が決まった瞬間は「終わった~」とかなりの解放感に包まれた記憶がある。だから、甥っ子やその親の「合格しました~」という報告は、メールする傍から、解放されて「やったぞ!」という気持ちも伝わってきて、自分の35年前の時が濃厚に思いだされた。
そう、自分の場合は、親からすれば歓迎すべき進路ではなかった。ピアノを捨てて、田舎を出ることが決まった。というか、自分で勝手に決めた・・・。娘が一人暮らしをする、大学に行くなど思ってもいないことになり、大変複雑で腹立たしい春であったはずだ。あの引っ越しの日。荷物を積んだトラックが実家を出るときの母の怒った顔を今も忘れることができない。やりやがった・・という悔しさというか、親の知らない世界に勝手に行きやがってという怒りや、ピアノを長い間させたのに裏切られた・・という腹立たしさと・・。そして、京都に着いてから母が初めてアパートに来たときのこと。怒りながら、スーパーで買い物をし、私に渡してくれた卓上醤油1本、あとは納豆だったか・・。
あれから35年。自分も親も、その周囲も変わった。そして、この春は姪っ子が念願の一人暮らしを始める。きっと彼もあとで何かの節目に、将来、この受験期を終えた瞬間のことを思いだすだろう。
苦難を乗り越え、緊張を持続するというしんどさを越えて、春を迎える人にとっては、どんなにすがすがしい気持ちか。日本中の受験生たちの、来る次のステージの始まりにエールを送り、私もまだできるで!という気持ちをもちつつ、一緒に駆け出すとしよう。
ああ、それにしても久しぶりに思いだした、鬼の形相・・。懐かしくもあり・・。