ある公開講座に行く。今回はある俳優の講演とのこと。年齢は80歳手前ということで、父親と同じ。石原裕次郎と大変近い距離におられた方のよう。お顔を見ればわかるという方が多いだろう、日本映画全盛期に、映画俳優として一世を風靡されてきた。実は私は顔を見て、見たことがあるかも?と思ったが、やくざ映画は見ないのと日活時代の映画というのもあまり知らないため、顔と名前は一致しなかったが、壇上に現れたその方は、まさしく見るからに、俳優というオーラを全身に漂わせておられた。今回の勉強会は「俳優から見た脚本・原作」がテーマ。いわゆる講演があって、質疑応答かと思っていたら、実はそうではなかった。最初から質疑応答方式だ。なんでも何年か前に脳梗塞をされ、その後リハビリをされ元気になられたが、講演というのはなかなかむつかしいようで、結局は会場からの質疑応答形式での講座ということになった。この手法もある意味、新鮮で聞く力を養うという点では、とてもいい勉強になると期待をしつつ、会場からいきなり質問なんか出るのかな?とも・・。
会場から質問が出始める。聞きっぱなしの講演よりも、ある意味聞き手にも積極性が求められ、ある意味新鮮ではある。ただ会場から出る質問に対し、高齢と病気のせいか、こちらが期待するようには聞いていただけなく、途中で思わぬ言葉が出たり、質問の途中で答えらしき発言が始まったり、正直、会場も少し困惑?気味。「さあ、なんでも聞いてください。なんでも答えますから」とそのサービス精神がやっぱり俳優だと思い、感心する一方、聞いた意図が理解されていない状態が続くと、どうも会場も盛り上がらず・・。また、有名な俳優さんだからといって、映画の脚本の細かい質問をどんどん突っ込んで聞く熱心が人がいても、その答えとはまったく違う、ちぐはぐな答えで突如話が終わったり・・で、これは本題よりも、コミュニケーション、取材力の勉強になると思い、興味の矛先を変えて受講し続けた。
発言内容は正直、聞くに堪えない部分もあり、時間の無駄だと席を立ってしまえばそれだけのことだが、なぜこのご高齢の俳優さんが力を振り絞って、この講座に来られているかと思うと、最後までその時間を共有せねばと思えてくる。会場からあまり質問が出ず、沈黙・・。自分も何度か手を挙げてがんばって質問した。「『役者』という職業は役を演ずる人という意味でわかりやすいですが、『俳優』という言葉の意味はよく考えたらわからないので、●●先生の俳優という定義について教えてください。」・・質問を理解していただいているか不安であったが、その方が質問強く反応したのがわかった。「それは、難しい質問だね。俳優とは、吟遊詩人かな」。この答えは質問に的確に答えられた内容で安心もし、感動もした。そうか、「吟遊詩人」。この一言があの名優から聞けただけでも価値があった。このほかにも、映画とテレビ文化、そしてそこで演ずる俳優の違い・・・などなど参考になることをいくつか学んだ。
いずれにせよ、若い時に俳優として美男子として世に出たひとりの男性が80歳になるまで、病を乗り越えて、その俳優という生き方を貫いておられるその姿自体に感動し、それでもコミュニケーションがだんだん難しくなっていく現実も垣間見えることが哀しくもあり・・。
まさにその人自身を見ていることが、撮りっぱなしの1回だけ上映の映画のようにも思えた。
私がお渡しした名刺を見て、「グラン・ルーか・・」と一言。吟遊詩人に少しでも響いていたら、よかった。